一、又五人一同に云はく、先師所持の釈尊は忝(かたじけな)くも弘長配流の昔より弘安帰寂の日に到るまで随身せり、何ぞ輙(たやす)く言ふに及ばんや云云。
日興が云はく、諸仏の荘厳同じと雖(いえど)も印契(いんげい)に依(よ)って異を弁ず。如来の本迹は測り難きも眷属を以て之(これ)を知る。所以に小乗三蔵の教主は迦葉阿難を脇士と為(な)し、伽耶始成の迹仏は普賢文殊左右に在(あ)り、此の外の一体の形像豈(あに)頭陀の応身に非ずや。凡(およ)そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず。倩(つらつら)聖人出世の本懐を尋ぬれば、源(みなもと)権実已過の化導を改め、上行所伝の乗戒を弘めんが為(ため)なり。図する所の本尊は亦(また)正像二千の間(あいだ)一閻浮提の内未曾有(みぞう)の大漫荼羅(だいまんだら)なり。今に当たっては迹化の教主既に益無し、況(いわ)んや■(=唱-昌+多)々婆和(たたばわ)の拙仏をや。次に随身所持の俗難は只是継子一旦の寵愛、月を待つ片時の蛍光か。執する者は尚強(し)ひて帰依を致さんと欲せば、須(すべから)く四菩薩を加ふべし、敢(あ)へて一仏を用ゆること勿(なか)れ云云。
(平成新編1879~1880・御書全集1614・正宗聖典0550~0551・昭和新定[-]----・昭和定本[-]----)
[嘉暦03(1328)年07月(佐後)]
[古写本・日時筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]