問うて云はく、一経の内に相違の候なる事こそ、よ(余)に心得がたく侍(はべ)れば、くはしく承り候はん。答へて云はく、方便品等には機をかゞみて此の経を説くべしと見え、不軽品には謗ずとも唯強ひて之を説くべしと見え侍り。一経の前後水火の如し。然るを天台大師会(え)して云はく「本已(すで)に善有り、釈迦は小を以て将護(しょうご)し、本未だ善有らず、不軽は大を以て之を強毒(ごうどく)す」文。文の心は本(もと)善根ありて今生(こんじょう)の内に得解(とくげ)すべき者の為には直(ただち)に法華経を説くべし。然るに其の中に猶聞いて謗ずべき機あらば暫(しばら)く権経をもてこしらへて後に法華経を説くべし。本(もと)大の善根もなく、今も法華経を信ずべからず、なにとなくとも悪道に堕(お)ちぬべき故に、但押して法華経を説いて之を謗ぜしめて逆縁ともなせと会する文なり。此の釈の如きは、末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕(だ)せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓(どっく)の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁(ぼうえん)を結ぶべき時節なる事諍(あらそ)ひ無き者をや。又法華経の方便品に五千の上慢(じょうまん)あり、略開三顕一を聞いて広開三顕一の時、仏の御力をもて座をたゝしめ給ふ。後に涅槃経並びに四依の辺にして今生に悟りを得せしめ給ふと、諸法無行経に、喜根菩薩(きこんぼさつ)、勝意比丘(しょういびく)に向かって大乗の法門を強ひて説きき(聞)かせ謗ぜさせしと、此の二つの相違をば天台大師会して云はく「如来は悲を以ての故に発遣(ほっけん)し、喜根は慈を以ての故に強説(ごうせつ)す」文。文の心は仏は悲の故に後のたのしみをば閣(さしお)きて、当時法華経を謗じて地獄にをちて苦にあうべきを悲しみ給ひて、座をたゝしめ給ひき。譬へば母の子に病あると知れども、当時の苦を悲しみて左右なく灸(やいと)を加へざるが如し、喜根菩薩は慈の故に当時の苦をばかへりみず、後の楽を思ひて強ひて之を説き聞かしむ。譬へば父は慈の故に子に病あるを見て、当時の苦をかへりみず、後を思ふ故に灸を加ふるが如し。又仏在世には仏法華経を秘し給ひしかば、四十余年の間は等覚・不退の菩薩、名をしらず。其の上寿量品は法華経八箇年の内にも名を秘し給ひて最後にきかしめ給ひき。末代の凡夫には左右なく如何がき(聞)かしむべきとおぼ(覚)ゆる処を、妙楽大師釈して云はく「仏世(ぶっせ)は当機の故に簡(えら)ぶ、末代は結縁(けちえん)の故に聞かしむ」と釈し給へり。文の心は仏在世には仏一期の間、多くの人不退の位にのぼりぬべき故に法華経の名義を出だして謗ぜしめず、機をこしらへて之を説く。仏滅後には当機の衆は少なく結縁の衆多きが故に、多分に就(つ)いて左右なく法華経を説くべしと云ふ文なり。是(これ)体(てい)の多くの品あり。又末代の師は多くは機を知らず。機を知らざらんには強ひて但実教を説くべきか。されば天台大師の釈に云はく「等しく是見ざらんは、但大を説くに咎(とが)無し」文。文の心は機をも知らざれば大を説くに失(とが)なしと云ふ文なり。又時の機を見て説法する方もあり。皆国中の諸人権経を信じて実経を謗じ強(あなが)ちに用ひざれば、弾呵(だんか)の心をもて説くべきか。時に依って用否あるべし。
(平成新編0231~0232・御書全集0014~0015・正宗聖典0322~0323・昭和新定[1]0363~0365・昭和定本[1]0204~0206)
[文応01(1260)年05月28日(佐前)]
[古写本・日興筆 神奈川由井氏]
[※sasameyuki※]