『聖愚問答抄 下』(佐前) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 されば教主釈尊は転輪聖王(てんりんじょうおう)の末、師子頬王(きょうおう)の孫、浄飯(じょうぼん)王の嫡子として五天竺の大王たるべしといへども、生死無常の理をさとり出離解脱の道を願ひて世を厭(いと)ひ給ひしかば、浄飯大王是を歎き、四方に四季の色を顕はして太子の御意を留め奉らんと巧(たく)み給ふ。先づ東には霞たなびくた(絶)えま(間)より、かりがね(雁音)こしぢ(越路)に帰り、窓の梅の香玉簾(たますだれ)の中にかよ(通)ひ、でうでう(嫋嫋)たる花の色、もゝ(百)さへづ(囀)りの鴬(うぐいす)春の気色を顕はせり。南には泉の色白たへ(妙)にして、かの玉川の卯(う)の華、信太(しのだ)の森のほとゝぎす夏のすがたを顕はせり。西には紅葉(もみじ)常葉(ときわ)に交はればさながら錦(にしき)をおり交へ、荻(おぎ)ふ(吹)く風閑(のど)かにして松の嵐ものすごし。過ぎにし夏のなごりには、沢辺にみゆる蛍の光、あまつ空なる星かと誤まり、松虫鈴虫の声々涙を催せり。北には枯野の色いつしかものうく、池の汀(なぎさ)につらゝ(氷柱)ゐて谷の小川もをと(音)さび(寂)ぬ。かゝるありさまを造りて御意をなぐさめ給ふのみならず、四門に五百人づつの兵を置きて守護し給ひしかども、終(つい)に太子の御年十九と申せし二月八日の夜半の比(ころ)、車匿(しゃのく)を召して金泥駒(こんでいこま)に鞍(くら)置かせ、伽耶(がや)城を出でて檀特山(だんどくせん)に入り十二年、高山に薪(たきぎ)をとり深谷(みさわ)に水を結んで難行苦行し給ひ、三十成道の妙果を感得して、三界の独尊一代の教主と成りて、父母を救ひ群生(ぐんじょう)を導き給ひしをば、さて不孝の人と申すべきか。仏を不孝の人と云ひしは九十五種の外道なり。父母の命に背きて無為に入り、還りて父母を導くは孝の手本なる事、仏其の証拠なるべし。彼の浄蔵・浄眼は父の妙荘厳王、外道の法に著して仏法に背き給ひしかども、二人の太子は父の命に背きて雲雷音王仏(うんらいおんのうぶつ)の御弟子となり、終に父を導きて沙羅樹(しゃらじゅ)王仏と申す仏になし申されけるは不孝の人と云ふべきか。経文には「恩を棄てゝ無為に入るは真実に恩を報ずる者」と説いて、今生の恩愛をば皆すてゝ仏法の実の道に入る、是実に恩をしれる人なりと見えたり。
(平成新編0400~0401・御書全集0492~0493・正宗聖典----・昭和新定[1]0608~0609・昭和定本[1]0378~0379)
["文永05(1268)年""文永02(1265)年"(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]