然る間仏の名を唱へ、経巻をよみ、華を散らし、香をひねるまでも、皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり。之に依って浄名経の中には諸仏の解脱を衆生の心行に求めば、衆生即菩提なり生死即涅槃なりと明かせり。又衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此くの如し。迷ふ時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬へば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。
(平成新編0046・御書全集0383~0384・正宗聖典1014・昭和新定[1]0127・昭和定本[1]0043~0044)
[建長07(1255)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]