おちは、生後10か月ではしかに罹患した。
少し前が五月の連休で、家族で人の多いところへ
出掛けていた。
感染したのだとしたら、きっとその頃。
最初は発熱だった。
連休中ということもあるし、発熱と言っても38度くらい。
元気もあるし、翌日に医者に連れて行こうと、一晩様子を見た。
翌朝、おちの熱は平熱近くに下がっていて、代わりに私に
高熱が出た。
これはもう風邪だよねと、私の熱があまりにも高いし、
おちの熱は下がってきているので、その日は結局
医者に行かなかった。
異変が起きたのは、翌日の夕方ごろ。
それまで熱はあっても機嫌も良くて、食欲もあった。
丁度離乳食を始めて、二回食に移った頃だったのに、
突然何も受け付けなくなった。
熱は39度になっていた。
翌朝、着替えさせた時に見たら、全身に赤い発疹が
出ていた。
これは、風邪じゃない。
突発性発疹でもない。
病院へ連れていくと麻疹、しかも、肺炎を併発していて、
そのまますぐに入院となった。
ようやくつかまり立ちもして、まんまやぶーぶーなどの
単語が出てきている頃だった。
小児科新生児室の隣にある隔離室に入り、二十四時間
点滴をし、座薬を入れて熱の下がるのを待った。
起源はずっと悪くて食欲もないので、ほぼ、ミルクだけとなった。
そのミルクも、口の中に発疹がいっぱいあってなかなか
飲めない。
小児用の座薬は、40度以上もあるおちの熱を、39度程度には
するけれど、それ以上には熱は下がってくれない。
二晩、寝ずに看病したけれど、熱は下がらない。
借りた氷枕の氷はあっという間に解けていく。
入院二番目の深夜、座薬を入れても42度に達したおちの
熱を鎮めるため、とうとう、大人用の座薬を使用することになった。
さすがに、小さいので、大人用座薬を半分。
座薬はよくきいてくれて、そこからおちは回復に向かって
いくのだけれど、肺炎と中耳炎が治るのまでにはもう少し
時間がかかった。
起きている間銃一日中でもおっぱいに吸い付いていたおち、
ミルクをたくさん飲み、ころころのまんまるだったおちは、見る
影もないくらい、げっそりとスリムになって退院した。
私は、治る事しか考えてはいなかった。
絶対に治るとか気張った思い出も無く、ただ、治るものだと
信じ込んでいた。
後に、まーさんは、もうダメだと思っていたと告白した。
そんなばかな・・・、いくらなんでも、と笑ってしまった私に
姑も、自分ももう助からないと思っていたと言った。
実家の母も。
周囲の大人、全員がそう思っていたことを後から知った。
そこまで危険な状態だったらしい。
ずっと近くでぴったりくっついていた私には、聞かされて
いなかったこともあったようだ。
おちは今、年に一度風邪をひくかどうかというくらい元気に
過ごしている。
だから、過ぎてみれば、あれは大変だったねーで、すんだ
話なのだけれど。
どうなんだろう。
その時以来、出ていた言葉が出なくなったのは事実。
おちの障害は生まれ持っての物だと理性では納得
しているけれど、今でも、
あの時麻疹に等かからなければ、あの時、あれほど高熱が
出なければ、あの時、大人用の薬など使わなければと、
考えてしまう自分がいることも確か。
ただ、ほんとに、本当に不幸中の幸いだったのは、うっくんに
移らなかったこと。
その頃泣いて暴れる子供達だったから、なかなか予防接種が
すすまなかったのに、何故だか、その前年の夏に、私はうっくんに
はしかの予防接種を受けさせていた。
おかげで、うっくんは難を逃れた。
こういうのって、虫の知らせっていうのだろうなあ・・・。