色々していたら結局日付が変わってしまいました
水曜日はそんなに寒い日ではなかったけど、あいにくの雨でしたね
17日の水曜日、ワタシの地元では花束や黒いスーツを来た人を多く見かけました
そして、仕事中にいつも聞かれる道案内に加えて、ある場所をたくさん聞かれました
「慰霊碑にはどうやって行けばいいですか?」
そうです、1月17日はあの日でした
阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)
あの日から丸12年が経ちます
「もう12年」なのか、「まだ12年」なのか、それは人それぞれ・・・
街を見ても、もうあの悲惨な日の跡はほとんど残っていません
倒壊した建物、ひび割れた道路、ブルーシートに覆われた屋根、一向に鎮火しない炎
ガス・電気・水が何ヶ月も使えなかった生活・・・
そんな風景があったとは思えないほどに復興しています
神戸に震災後に訪れた人はきっと誰もがそう思うでしょう
でも1月がやってくるとどうしても思い出してしまうんです
幸い、自分にも身内にも全く大きな被害はありませんでした
それでもなぜ、思い出してしまうのか?
きっと脳裏に焼きついてるんだと思います、あの揺れが。。。
だから17日が近づくとどうしても「あ、地震の日だな」って思い出します
ワタシも仕事中、初老の男性に道を尋ねられました
それは冒頭に書いたとおり「震災慰霊碑」へ行く方でした
その方はこう言われました
「従兄弟があの日、地震で死んだんや。
もう12年も経つんやなぁ、早いもんやなぁ。
ほんでな、慰霊碑に行ったら記念に写真撮ってやろうと思ってるねん。」
その方の手にはカメラが握られていました
たくさんの方が色んな思いを胸に、慰霊碑に向かっていたんだと思います
17日の地元新聞にこんな記事がありました
「1月17日 5時46分は何の時間?」の問いに
答えられる人が減ってきて、風化が進んでいる
※記事はコチラから⇒ http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/ko/index.shtml
県外の人はおそらく、ピンとこないと思います
神戸に住んでいても、鮮明に思い出される人は減ってきているんでしょうね
震災後に産まれた子供もいるわけだし・・・
神戸の復興を願って作られた曲で
「しあわせ運べるように」という曲があります
※曲はコチラから聞くことが出来ます⇒ http://www.kobe-c.ed.jp/research/on-es/kobenouta/shiawase.html
歌っている子供たちはほとんど、地震のことは知らないんだと思います
だから新聞に書いている通り、風化が進んでしまうのかもしれない
でも、やっぱりそんな人たちにも知っていてほしいと思います
きれいな街に生まれ変わったけど、実際は大地震に襲われた街であることを・・・
いつになく真面目な記事を書いてしまいました
しかも去年も同じような記事を書いたんです
でも神戸に住むワタシにとって、1月17日は忘れられない日なのです



