人格が出来上がる過程。 | MEYの観察日誌

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そして、その行動。


人格形成を成す主に10代の頃について述べてみたい。


まず小学生低学年にて、「ザ・ベストテン」などの歌謡曲を好み、

レンタルレコード屋で借りたレコードをダビングするませたガキだったかもしれない。


そして、小学校5年にてエレキギター、小学校6年にてシンセサイザーを

いわゆるお年玉貯金というヤツで買ったのだ。まだ景気の良かった昭和が終わる頃。

そして中学生にてYAMAHAの音楽教室に通い出し、

バンドの真似事や打ち込みと呼ばれる音楽に明け暮れる日々だった。


親は習い事という事は、一通り経験させてくれた。

スイミング、テニス、習字、公文、そろばん、ギター、キーボード、ジャズピアノ。

数え出したら切が無いが、ありがたい環境である。


勉強が出来たのは小学生まで。塾にも通っていたが、どんな塾だったかは覚えていない。

根っからの理系なのか、国語・英語・社会は、からっきし芳しくない成績だった。

義務教育で英語を習った自覚が無いのに、成人してから英語を身に付けたのは皮肉かもしれない。


高校ではオフロードバイク、世間ではモトクロスと言った方が通じが良いかもしれないが、

整備されてない河原のようなダートと呼ばれる道をひたすら走ったのを覚えている。


大学受験時期に阪神大震災を実体験した訳だが、

この時期に受験失敗、浪人生活、祖父の死去が重なっているが、

不思議とこの時期の記憶は薄いのだ。

スローモーションでも動画でもなく、記憶はスナップ写真のように断片的なものしかない。


そして人生を大きく変えたかもしれない、神奈川の大学に入学することになる。

なぜ神奈川だったのかは不明だ。なんとなく神奈川だった。

この選択が名古屋でも金沢でも人生を変えていたことであろう。


なんとなく入学した神奈川の大学。そんなにレベルが高くない大学だ。

学生レベルが高くないため単位取得も成績も順調だった。

部活動としては一応、自作スピーカを作るオーディオ研究会に所属していた。

しかし、もっぱらクラブ、特にテクノを中心としたイベントに参加するため、

神奈川から都内まで小田急で行き、重い機材を引きずって早朝の始発に乗ったものだ。


大学も後半に差し掛かると、世間は急激な就職氷河期。

今で言う「就活」に現実感を持てずに、大学4年の段階で大学院の授業を受けていた。

運よく特待生として大学院に進む事が出来たが、ろくに研究論文を書くわけでもなく、

クラブイベントに参加していた。

今の社会的コミュニケーション能力が養えたのは、この活動があったからだと思っている。


大学卒業後、田舎に帰る者、研究室のコネで就職した者、フリーターとなった者、

徐々に学生として周囲が疎遠なってきた頃、

就職活動を一度も行った事のなかったはずなのに、

仕事が舞い込んできた。それも社会人人生を決めるような仕事だった。

最初は学生アルバイト、あれよあれよと常勤+残業と立派に働いていた。

あの時一緒に働いた東大生は、どうしているだろう。

英語が出来て、仲間を助けてくれる理想的な先輩だった。


学生生活などウサギと亀のスピード差とも言えるほど、実社会のスピードは心地よく楽しかった。

2年連続でクリスマスイヴの夜を渋谷のビルで走り回っていたのを今でも覚えている。


大学院前期課程(修士2年)の秋、修士論文など書ける当てもなく日々の仕事をしている頃、

社会人になるチャンスが思いもよらず舞い込んで来たのだった。