2014.02.03 新宿駅西口 田母神としお氏の街頭演説に、関西より急遽駆けつけてくださった小説家百田尚樹氏の、素晴らしい応援演説。
自分のための覚え書きとして、書き起こしてみました。

(①②をまとめました)


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私がなぜ田母神候補を応援したかというと、田母神さんは本当の意味の立派な国家観そして歴史観を持った方やからです。そして、本物の男やからです。

先程、田母神さんそれからデヴィ夫人も仰ってました。実は日本で、戦後69年経っていろんな問題が今、山のように出てます。私もいろいろ考えました。一体これは何でや?これは一体原因は何や?と。

これは、日本が今から69年前に戦争に負けて、日本を占領したGHQそれからアメリカ占領軍ですね、連合軍。この連合軍がその当時の日本人に何をしたか?と。実は徹底した自虐思想を植え付けたんです。これは「日本人、お前たちが悪いことをしたんだよ」と。「お前たちが悪いんだ」と。これを徹底して植え付けたんです。これはなぜか?と。


これ実は極東軍事裁判です。東京裁判のせいなんです。日本にやって来たときに、東京の惨状それから広島、長崎の悲惨な状況を見てですね、おそらく「やり過ぎた」と思ったんでしょう。これ程悲惨な戦争犯罪は無いんです。全く一般の無辜(むこ)の民を何十万人虐殺したんです。

東京も四度の大空襲に遭ってます。そのうちの一番最初の大空襲は昭和2039日です。この時は東京の下町の民家密集地点を狙いました。この時のアメリカ軍がやった空襲は、まさに、これ程悲惨な戦争犯罪があるかというくらいの残虐な行為でした。39日で320機を越えるB29の大編隊が東京上空に達しました。この時に空襲警報が出て、多くの庶民たちが皆、防空壕に入りました。この時アメリカ軍のB29が非常に低空に入ったんですが、一発の爆弾を落とすことも無く、千葉の房総沖へ抜けたんです。そして、空襲警報が解除されました。310日に時間が変わったくらいです。それで深夜に空襲警報が解除されて、防空壕に入っていた一般の市民たちが皆家に帰りました。その時を見計らったように、房総沖に抜けた300機を越えるB29Uターンしてきて、再び東京上空に戻ってきたんです。そしてそこで何万トンという焼夷弾を大量にぶちまけたんです。


アメリカ軍はこの大空襲の前に、日本の民家をいかにして燃やすことができるか、そして、いかにして日本人を焼き殺すことができるか、最も効率的に焼き殺すことができるかということで、アメリカの砂漠に日本人の街をまるまるそっくり作ったんです。その時にハワイから日本人を呼んで来て、襖や障子まで作って、日本の大きな街を再現して、この街を燃やして日本人を焼き殺すにはどうすればいいかということを、何度も実験してるんです。その実験結果を元に、昭和
29年の39日に大空襲したんです。

もう、一般民家、物凄く焼けました。一夜にして日本人の尊い命が10万人以上失われたんです。これ、大虐殺です、本当に。こんな酷い殺し方ありますか?

更に広島と長崎の原爆もそうです。これも完全に人体実験です。広島に原爆を落とすために、アメリカ軍は広島に長いこと普通の一般爆弾は落とさなかったんです。つまり一般爆弾落とすと、そこは原爆との比較にならないという事で、長崎も、小倉も、新潟も殆ど一般空襲、それまでされなかったんですね。

つまり原爆の威力を、どれだけのもんかというのを見たかったんです。これね、大虐殺なんです。

そして、アメリカ軍が日本を占領したときに、東京大空襲それから広島と長崎の原爆の、あまりに悲惨な状況を見て、これは自分たちが戦争犯罪人にやられると思ったんです。勿論彼らは戦勝国ですから戦争犯罪人にはやられません。実は戦争犯罪人という言葉、今、私、ポロッと使いましたけれども、東京大空襲の司令官カーチス・ルメイは、もしアメリカが戦争に負けたらば私は戦争犯罪人として裁かれるであろう、と言うたんです。それ程の大虐殺をしたんです。

これを誤魔化す為の裁判やったんです、東京裁判というのは。自分たちの罰を相殺する為に。

よく出てくる、『南京大虐殺』は、1938年に蒋介石が… つまり、「南京大虐殺をした!日本は南京大虐殺をした!」38年にね、やたら宣伝しました。でも、その時世界の国は無視しました。なぜか?そんな事は無かったからです。その当時南京市内には大量の欧米人の新聞記者、カメラマンが沢山いました。彼らは現実を見てたんです。ですから蒋介石がいくら嘘を言うても、そんな事は誰も信用しなかったんです。報道も無かったんです。まあ、いくつか報道はあったんです。ニューヨーク・タイムズの報道はあったんですが、この報道をした記者は現実には全く見ていないんです。蒋介石の言い分をそのまま書いたという、ですから、これは全く国際的にも問題になりませんでした。ところが、そうやって10年間ずーっと問題にならなかったのは、戦後極東軍事裁判で初めて、突如、亡霊のように南京大虐殺が出てきたんです。

これ、なぜ出てきたかというと、アメリカ軍がじぶんたちの罪を相殺する為なんです。東京大空襲、広島長崎の原爆の投下も、「アメリカ軍が悪いんじゃない。お前たちが悪いことをしたからこうなったんだ」ということで、アメリカ軍がそのために持ってきたのが『南京大虐殺』だったんです。

これも最初は20万人だったんです。ところが20万人じゃ少ないということで30万人にしたんです。とんでもない話なんです。

アメリカ軍は更に言いました。「お前たちが悪いことをしたんだ。真珠湾攻撃で、お前たちが宣戦布告も無しに戦争した。だからその報復でムチャクチャやったんだ」と言います。でもね、宣戦布告無しに戦争をした、と日本は攻められますが、実は
20世紀に於いて戦争で宣戦布告が有ってなされた戦争というのは、殆ど無いんです。アメリカ軍はベトナム戦争のときも宣戦布告無しにやりました。それに湾岸戦争もそうです。イラク戦争もそうです。ひとつも宣戦布告無しに全部の戦争を行ったんです。20世紀の戦争というのは、宣戦布告をして戦争を行ったケースというのは、殆ど無いんです。第二次世界大戦、イギリス軍とフランス軍がドイツに宣戦布告しましたが、これは形だけのもんで、実際宣戦布告してから半年間全く戦争しなかったんです。ですから、本当にアメリカ軍は日本に対して、「とにかくお前たちが悪かったんだ」と、「お前たちが悪いことをしたんでこれ程酷い目に遭ったんだ」と、「アメリカ軍を恨んではいけないんだ」「アメリカのせいにしちゃいけない」「アメリカを糾弾してはいけない」「アメリカを責めちゃいけない」「お前たちが悪いことをしたからなんだ」、と。これをね、徹底的に植え付けたんです。

そして今も日教組を始めとする多くの左翼団体が未だにその思想に凝り固まってるんです。日教組は無垢な小学生、全く何も知らない小学生に歴史教育を無理やり施して…その歴史教育は酷いです。日本人は戦争中にこんな悪いことをした。こんな悲惨なことをした。あなた達のおじいさんはこれ程悪いことをしたんだという事を徹底して植え付けてるんです。

私の友人の新聞記者がある県の指導要綱を見ました。こっそりね。子供たちに日本がどれ程悪い国であったか、日本人はどれ程悪い国民であったかを徹底して教える、という指導要綱を見たんです。そして、子供たちにそういう事を教えた挙句に子供たちの感想文をいっぱい取ってます。感想文もその新聞記者は見ました。そこに書かれている感想文は酷かったです。もう自分は日本人であることが恥ずかしい。自分のおじいちゃん、おばあちゃんを誇りに思えない。自分が日本人であることが情けない、悔しい、悲しい。こういう事を書かれた子供たちの感想文が山ほどあったというんです。こんな事を教えて、正しい大人になれますか?自分が日本人であることが恥ずかしい、情けない、こんな教育を受けた子供は将来立派な大人になれないです。こんな教育を許してはダメです。

確かに、戦争です、戦争ですから残虐行為もありました。日本軍も残虐行為をしました。でも、これはアメリカ軍もしたし、ソ連人もしたし、中国人もしたし、みんなした。どこの国もしたんですよ。これが歴史の裏面なんです。歴史の黒い面なんです。こういう事を教えるのも大事です。でもこれは、もっと大きくなってから教えたらいい。まず、何も知らない子供たちには、この国は素晴らしい国なんだ、と。日本人は素晴らしい国民である。日本は非常に立派な国だ、と。これをどんどん教えなあかん。そして本当に、日本は素晴らしい国なんです。
 

日本は本当に素晴らしい国なんです。日本はマナーも素晴らしくてね、(日本みたいに)誇り高くて立派な国無いです。

先の東日本大震災の時に、これ私も他人(ひと)から聞いたんです。アメリカ軍のパイロットが、仙台市の救援物資を山ほど持って小学校に降りたそうです。この時に、救援物資を運んだパイロットは、この校庭に降りるのが凄い怖かったというんです。なぜ怖かったか?そのパイロットは過去、いくつもの国に救援物資を運んでました。その時の経験が怖かったという訳です。なぜ怖かったか?救援物資を運んだヘリコプターが降りるとですね、群集が殺到するんです。もう救援物資の奪い合いなんで、もう、それはもう、恐ろしいことになる。ですから彼は最初、怖かったというんです。ところがそれでも、仕事ですから、恐る恐るその校庭に降りた。じゃ、そこでどうなったか?暴動、略奪、何にも起こらなかった。ただ、その時に一人の日本人の代表者がおずおずやって来て、「今から救援物資を我々いただきます」と。そして理路整然と救援物資をいただいて帰って行った。しかも、もっと驚いたことに、その救援物資は、全部運び終わらなかったんです。半分ほど運び終わったときに、その日本人の代表者は「我々はこれで十分です」と。「これだけあったら何とかいけます」と。「あと残り分は次の被災地に持って行ってください」と。

これが日本人なんです。こんな国どこにありますか?国民あるいは人間ていうのはね、最も苦しい時にその人間の本性、本当の姿が出るんです。


日本人は…私は阪神大震災を経験してますが、その時も同じです。実は、こんな事がありました。

西宮でね、西宮も大被害を受けたんですけれども。その時に、あるコンビニが焼け残ったんです。で、コンビニといいますのはね、非常に有名ですけれど、コンビニの前にはシャッターがあります。でもこのシャッターは開店してから一度も閉じられることはありません。つまり36524時間ずっと開いているのがコンビニです。ところがそのコンビニはですね、初めてシャッターを降ろそうか?と言うたんです。でも、降ろさなかった。まわり全部被災を受けたときにですね、そのコンビニは24時間ずっと営業をし続けて…皆、被災地はお金もありません。皆、家燃えた訳です。その時にそのコンビニの店主が「品物はある、食料もある、全部持って行ってください」と。金はいらない、後でいい、いつでもいい!で、その時にそのコンビニのまわりに集まった被災地の人は、皆、そのコンビニの品物
を持って行きました。そして、やがてその3ヵ月後、半年後に、漸くいくつか生活に余裕を持った被災者の方が、そのコンビニに「あの時は助かりまして」と。「あの時戴いたおにぎりのお金です」「あの時戴いたミネラル・ウォーターのお金です」と皆お金を持って来ました。そのお金が何と、持っていかれた品物の何倍ものお金が貯まったんです。

これが日本人なんですよ。こんな国どこにもないですよ。


世界の国、地震のあった国、津波のあった国、そこは本当に悲惨なことになります。実は最も悲惨なことは、この後やって来るんです。その地震のあった後、津波のあった後は最も地獄が訪れているんです。その後、略奪、暴行、もうとにかく、ありとあらゆるルールが無くなって、もう弱肉強食になる。でも日本は絶対にそうはならない。最も苦しい時に日本人は助け合うんです。こういう日本の素晴らしさをね、教育で教えたい。自分たちはそういう人間なんだ、と。勝手に他の国言うたら怒られますけど、仮に中国はこんな大津波、大震災あった後どんなことになるか?僕、想像するだけで恐ろしいことになると思います。


ですから、私は本当に… 私は小説家ですけれども、本当に小説で私は何を描きたいかといいますと、多くの読者の方に『日本人の素晴らしさ』『日本の誇り』を書いていきたいと思います。そして政治家の皆さんには、ここに居られる田母神さんには、是非とも、教育を通して子供たちに、そして若者に、日本の素晴らしさを、そして日本人の誇りを、そして日本に生まれたこの喜びをですね、是非教育によって伝えていっていただきたいと思っています。

田母神さん、よろしくお願いいたします。


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takeshima'sday