台湾映画『海角七号(かいかくななごう)/ 君想う、国境の南』 | ありがとう台湾☆彡がんばれ沖縄

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yukimariさんのブログからの転載です。
いよいよ台湾映画『海角七号(かいかくななごう)/ 君想う、国境の南』
ご紹介。

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  台湾映画史上ナンバーワン大ヒット!(2009年の時点←yukimariの注釈)

  過去と現在、日本人と台湾人の切ない恋が交錯する。

  「君を捨てたんじゃない。泣く泣く手放したんだ。」

  届かなかった、七通のラブレターが60年の時を経て、
  国境を越え、歴史を越え--- 

  
  1940年代、日本統治下の台湾。

  若い日本人教師が、日本名を友子という台湾人の教え子と恋に落ちた。

  しかし、敗戦を迎え帰国を余儀なくされる。

  彼は日本につくまでの七日間、海上で手紙を綴る------。

 

  60年後の現代。

  プロ・ミュージシャンになる夢に敗れたアガは、
  嫌々郵便配達のバイトをしている。

  ある日、アガは郵便物の中に、
  いまは存在しない住所・海角七号宛ての小包を見つける。

  それは60年前、日本人教師が恋人・友子に綴ったあの手紙だった-------。

 

  ―――かつて、愛する人を残し台湾を後にした日本人がいた

    「友子、許しておくれ、この臆病な僕を」

  ―――彼女への思いを、七通の手紙にしたためた

    「どうしようもないくらい君に恋してしまった僕を」

  ―――しかし、その手紙は投函されることはなかった

    「君を愛していても、諦めなければならなかった……」

  60年前、歴史に引き裂かれた恋が 60年後、新たな恋の始まりとなる

 
次は、この映画のパンフレットに載っていた貴重な寄稿文です。

どうしても、皆様にはご一読願いたく、パンフレットよりお借りします。

(なお、漢数字は読みやすいように私の一存で修正しおります。)

 

平野久美子(ノンフィクション作家)

厚生省援護局の資料によると、先の敗戦によって海外から日本に引き揚げた人々は、軍民合わせて629万702人という。しかし、いまだに正確な数字がわからないのは、ソ連占領区となった満州や樺太、38線以北の朝鮮では殺傷、奪略、拉致、餓死が相次いだためである。それにくらべると台湾は奇跡だった。大きな混乱もなく、全部で40万を超える日本人が、米国の貸与したリバティ輸送船などに乗りこんで無事に離台できたのだ。

 日台の領台は、1895(明治28)年から始まり1945(昭和20)年の敗戦によって幕を閉じた。民間人の引き上げは、1946(昭和21)年の2月から4月にかけて集中的に行われ、その数はおよそ28万4千人(映画は“1945年12月25日”というナレーションから始まるが、史実に照らせばこの日から送還が始まったのは軍人だけだ)。続いて戦時中沖縄県から疎開した人々約1万5千人、最後に中華民国に留用された人々とその家族約2万8千人が、1949(昭和24)年8月までに集団で帰国した。地元紙が「日僑今や天地回りて国に去る。天を恨まず。地に嘆かず。黙黙として整整と去る…日本人恐るべし」と評したように、日本人は粛々と、潮が一気に引くように故郷台湾を去っていった。

 半世紀にわたって築き上げた財産も地位も権益も、土地も家屋も放棄した彼ら。所持品として認められたのは、1人1000円までの現金、夏と冬各三枚の衣服、行李一個と寝具類一包みだけだった。頼る親類や友人も少なく、焦土と化した日本は、果たして帰るべき故郷なのかという思いが強かったろう。台湾からの引き揚げ者が敗戦の悲惨や諦観を身にしみて感じたのは、むしろ日本へ戻ってからのことだった。

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この一連のyukimariさんのブログを読んで涙がとめどなく溢れました。
嫌中韓でささくれだっていた気持ちが癒されました。
国内外から「世界中から」という言葉を付けての誹謗中傷の嵐。
そんな中でも今でも日本を好きでいてくれる国があったなんて。
素直にとても嬉しい。

日本は台湾の期待を二度裏切ったのですね。
敗戦の時と日中国交正常化後。
(ん~、正常化って何なの?って疑問もありますが・・・。)

こんな日本によく我慢してくださいました。
台湾の皆様、今後共、日本に対する叱咤激励お願いします。
こんな日本でも見捨てないでください。←これが本音(;´▽`A``