rabejoeikai01































5 月17日、東京両国の江戸東京博物館ホールで2009年のドイツ・フランス・中国合作の映画『ジョン・ラーベ 南京のシンドラー』(原題:JOHN RABE)の日本初の公開上映会が開催された。主催は「南京史実を守る会」。筆者も上映会と同時に開催された記念シンポジウムにも参加して来た。

会場に到着したのは9時半頃だったが、既に当日券を買い求める人の列が出来始めていた。
話によると前売り券は完売、50枚用意されていた当日券完売も時間の問題で、先着順になっているのだという。
こんなにも話題になるとは本当に驚いた。

第一回目の上映ではもちろん満杯だった。
反響がこんなにも大きいことに驚いていた。もちろん、主催者である「南京史実を守る会」のスタッフの熱意と努力の賜物なのだが、それにしても関心を抱く人がいればこその大盛況でもある。

どうしてこんなにも多くの人がこの映画に惹かれたのだろうか。
日本では2009年以来、殆ど、いや、全く話題にもならなかった作品である。
もちろん、ジョン・ラーベという人物でさえ、話題にも登らなかった。
ラーベに関してはその日記が出版され日本で邦訳版が発売された1997年頃は少しは話題にもなった。しかし、その日記の邦訳版『南京の真実』(講談社版)ですら現在では絶版になっている。再び忘れ去られたのである。
そんなジョン・ラーベの映画がこんなにも人々の関心を呼んだことが私には驚きであった。
その理由についてはもう少し考察しなければならないが、やはり、ひとりの人間が多くの人々のために立ち上がり、その命を救ったという物語は多くの人たちに関心を持たせるのだろう。
ラーベはその活躍の割に殆ど歴史上、語られない人物だった。彼は殆ど無名に近かった。
引 き合いに出されるユダヤ人をナチの手から守ったオスカー・シンドラーと同じく、彼はその行為に対して戦後、殆ど評価を受けることもなくひっそりと世を去っ ていったのである。その後も評価を受けるどころか長い間発見されることもなかった。その理由は幾つかある。南京からドイツへ帰った後、南京事件関連の講演 会を行いゲシュタポ(ナチの国家警察)に逮捕され、以後、南京事件について語ることを禁じられたこと。このことが原因で海外へ左遷されてしまったこと。戦 後はラーベがナチ党員であったため、極力世間に出ることを躊躇したこと。そして、日記を自ら封印していたこと。東京裁判での証人への出廷を拒否したことな どである。
ラーベの死後も、彼がナチ党員であったために辛酸を舐めた家族によって日記が封印されていたために、更にラーベが世間に知られることがなかったのである。

このようにジョン・ラーベは無名戦士なのだ。

ジョン・ラーベの無名性、それに対する彼の活躍の足跡・・・その意外性は一つの関心を生む要素でもあるのではないか。
南京で20万人の命を守った人物が殆ど無名であったという意外性である。

そうした意外性と共に封印されていたラーベとその周辺の歴史を紐解いてくれる映画。
やはり、関心を抱かざるを得ないだろう。

rabejoeikai02

















第 1回上映の後に行われた「記念シンポジウム」ではラーベの実相についての話題も出た。映画に対して実際のラーベとはどの様な人物であったのか?短い時間の 中でジョン・ラーベという特異な人物について全てを語る事は出来ない。しかし、シンポジウムで少しお話したことと絡めてラーベという人物について少し書い てみよう。

 ラーベが海外生活が長く幾多の外国人と交わりながら過ごしてきた経験から彼は極めてコスモポリタン的な性質を持った人で権力 に対しては余り頓着しない性質を持っていた。そのことから権力や権威を嫌い、それには状況といった全く空気を読まずに果敢に闘いを挑む。この辺の説明はな かなか難しいのだが、ラーベには驚く程子供っぽく夢想家的な英雄志向があった。そのために彼は権力や権威に遠慮はしない一面を持っていた。
 反 面、彼は勲章を好み、ヒトラーを尊敬し、不法に侵入して来る日本兵をナチのハーケンクロイツの腕章を見せて追い返したりする。彼の権力や権威を嫌う性質と は明らかに矛盾するものだが、ラーベの中では整合性が取れている。ラーベにとっての嫌悪すべき権力とは、それによって自分よりも弱いものに圧力をかけよう とするものなのである。そういう権力や権威に対してラーベは嫌悪を感じ、果敢に挑んでしまう。それがラーベの中にあるヒロイズムなのである。
 ラーベの日記を編集したエルヴィン・ヴィッケルトはラーベをナチズムを理解しなかった博愛主義者とし、ラーベの日記を自著で紹介したアイリス・チャンはラーベを「中国のオスカー・シンドラー」と呼んだ。
 しかし、私は自身の論文の中でラーベを「南京のドン・キホーテ」と位置づけている。
 そんな横紙破りなラーベを偶然にも南京安全区国際委員会の委員長に周囲が推薦したことが20万人もの人命を救う結果に繋がったとも考えられるだろう。
 権力や権威に顔色を伺い、状況を絶えず気にしているような人物がもしも、委員長になっていたらとしたら、「南京の奇跡」は起こらなかったかもしれない。

 もっとラーベについて語りたいところだが、この辺にしておこう。
 映画の第二回上映が8月に東京で決定しているとのことであるし、ネタバレになってもいけないことだし。

 ネタバレにならない程度にまた、映画『ジョン・ラーベ 南京のシンドラー』とその周辺について書いてみたいと思う。


筆者:永田喜嗣