1957年公開の西ドイツ映画『撃墜王アフリカの星』(Der Stern von Afirika) は第二次世界大戦の実在のドイツ空軍の撃墜王、ヨアヒム・マルセイユのつかの間の青春と半生を描いた映画。

この映画でマルセイユを演じた俳優、ヨアヒム・ハンゼンはこれが本格的映画デビューとなった。

映画は世界的なヒット作となり、主題曲「アフリカの星のボレロ」は現在でもスタンダードナンバーとして残る名曲となった。ヨアヒム・ハンゼンはデビューとは思えない確実な演技で世界からも高く評価された。

世界に名を残す国際俳優とはならなかったものの、ハリウッドやイギリス映画にも繁盛に顔を見せていた。

『撃墜王アフリカの星』と続く主演作『最後の戦線』の印象が強かったためか、ハリウッドでは主にドイツ軍将校を演じることが殆どだった。

 

『撃墜王アフリカの星』の最初の部分で、飛行学校候補生のマルセイユが軍服で街を歩いているシーンがある。通りがかりの陸軍の将校がマルセイユを呼び止める。

将校はマルセイユが軍帽を真っ直ぐ被っていないことを注意する。

マルセイユは姿勢を正して「了解しました!」と軍帽を真っ直ぐ被りなおすが、将校が行ってしまうとニヤリのとしながらまた軍帽を右上がり斜めに被り治す。印象的なシーンだ。(この場面は日本で発売されているDVDでは何故かカットされている。)

マルセイユの若さゆえのやんちゃ気質と軍隊の厳粛さへの小さな抵抗である。この映画においてマルセイユは最後まで軍帽を斜めに歪めて被り続ける。

 

 

マルセイユを演じたヨアヒム・ハンゼンはその後、スターリングラードの凄惨な闘いを描いた1959年の作品『最後の戦線』(Hunde, wollt ihr ewig leben)に出演した際もマルセイユの様に軍帽を傾けて被っていた。

他の俳優が真っ直ぐ軍帽をかぶっているのにハンゼンだけが斜め被りなのだ。

1969 年のアメリカ映画『レマゲン鉄橋』でドイツ軍工兵隊の指揮官バウマン大尉を演じたハンゼンはここでも軍帽の斜め被りをしている。ロバート・ヴォーンやクリ スチャン・ブレヒが演じる他のドイツ軍将校は真っ直ぐ軍帽を被っているがハンゼンだけ最初から最後まで右上がりに斜め被りをしている。

 

1971 年のテレビドキュメンタリードラマ"Operation Walkuere"でハンゼンはヒトラー暗殺を企てるクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐を演じたが、この時も軍帽を斜めに被っていた。この時は ハンゼンが楽屋でシュタウフェンベルク大佐の衣装を身につける様子も挿入されるのだが、そこでハンゼンが鏡を前に軍帽を意識的に斜めに被る様子が映し出さ れている。

続くフランス映画『追想』のSS将校、アメリカ映画『鷲は舞い降りた』のSS将官でも軍帽の被り方は相変わらず同じだった。

 

ヨアヒム・ハンゼンはどうして常に軍帽を斜めに被ったのだろうか。どの映画でもこの点に注意深く観察すると、目深く真っ直ぐに被る他の俳優たちとは明らかに軽い違和感が感じられる。映画やテレビドラマの演出家もこの点については気づいていた事は容易に察せられる。

 

ヒトラー暗殺事件の立役者、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐の様な上級将校になると、この様な「粋」で「ラフ」な軍帽の被り方は公的な場面ではしなかっただろう。しかし、ハンゼンはこの様な役でも常に斜めに被っているのだ。

 

もちろん、これはハンゼンの個人的な演出だったのは確かだ。そういう帽子の装着が格好よく見えることを知っていたのかもしれない。それは本人でないと分からない秘密でもある。(ヨアヒム・ハンゼンは2007年に他界している)

 

いずれにしてもハンゼンの軍帽装着法はデビュー作『撃墜王アフリカの星』から始っていることは確かだ。この映画では軍帽の被り方で軍隊の権威主義や統一支配への抵抗という態度を示していた・・・そういう演出であったことは確かだ。

 

戦争映画における軍帽というものは軍隊の権威や権力を示す小道具として機能する。

例 えばサム・ペキンパー監督の戦争映画『戦争のはらわた』では軍隊組織やナチに対してはウンザリしている将校、キーゼル大尉(デヴィッド・ワーナー)は映画 の最初から最後まで全く軍帽を被らなかったが、対する軍隊の権威に生きがいを感じているストランスキー大尉(マクシミリアン・シェル)は最初から最後まで 軍帽かヘルメットを被っているのである。

この映画における主人公、シュタイナー(ジェームズ・コバーン)が率いいる小隊のクリューガー(エ ルンスト・ルビュッチュ)などは敵方のソ連軍の戦闘帽を被っているし、シュタイナーも帽子を被っていない場面が多い。軍隊という権威主義に精神的に抵抗し ている人物を表現するには制服の着崩しよりも、まず、軍帽をぞんざいに扱うことが効果的な演出となる。

 

ヨアヒム・ハンゼンがドイツ将校を演じるときに必ず『撃墜王アフリカの星』のマルセイユの様に軍帽を斜めに被ったのは彼の戦争や軍隊に対するちょっとした抵抗の現れだったのではないかと私は思う。

何故なら、ハンゼンは『撃墜王アフリカの星』においてマルセイユが常に軍帽を斜めに被るという演出意図(軍隊規律への抵抗)をよく理解していたはずだからだ。

その後も出演する全ての作品で同様の演出を個人で行うということは意図的であったと考えられる。

少なくとも、他のドイツ人将校を演じてもそこに『撃墜王アフリカの星』のマルセイユ的抵抗を個人演出として持ち込んでいた事は間違いない。

 

もちろん、ハンゼンが反戦抵抗的な意図を持って、そこまで行っていたとは断言は出来ない。

しかし、一人の俳優が最初に出演したデビュー作である反戦映画の小さな演出を個人で自分の役に最後まで取り入れ続けたという拘りには敬服してしまう。いや、感動的でもある。

 

日本では殆ど名の知られないヨアヒム・ハンゼンというこのドイツの名優の知られざる業績の一つとして私はこの軍帽の斜め被りをあげたいと思う。そこに神々しい役者の魂を感じてやまないのだ。

 




執筆:永田喜嗣