1.抗日義賊英雄・廖添丁
廖 添丁(Liao Tian-ding)は日本統治時代に実在した人物で、日本の統治警察を相手に暴れまわった所謂「義賊」である。台湾での民衆英雄として愛され、小説、映 画、テレビドラマ、演劇、漫画、果ては現代音楽の分野で管弦楽組曲にまでなっている。
廖添丁の最大の敵は日本を統治する警察である。廖添丁は台湾民衆に とって日本を統治支配し市民に横暴な行為を働く日本人とその日本人に協力する裏切り者を叩き伏せる神出鬼没の伝奇抗日ヒーローなのだ。
日本の「ねずみ小 僧」や「石川五右衛門」となると時代が離れ過ぎるが、こうした賊でありながら英雄という人物を我が国で探すなら「マライの虎・ハリマオ」こと谷豊が最も近 い。戦後も伝奇英雄としてテレビドラマや映画、漫画といったメディアで生き残ったという点でも共通している。
実在の人物として、廖添丁27歳、谷豊が31歳と英雄として果 てた年齢も近い。
た だ、相違点を探ればハリマオこと谷豊は大東亜共栄圏、アジア独立解放といった大日本帝国の国策宣伝のために準備された官製英雄だったの に対して、廖添丁は民衆によって作られた英雄という点だろう。両者とも義賊であり、国家権力を敵に回し神出鬼没の活躍した実在の人物という点では変わりは ない。(映画『マライの虎』については当時のシナリオなど面白い資料が手に入ったので別の機会に書いてみたいと思う。)
2.廖添丁の民衆像
廖添丁の民衆像は映画、テレビ、舞台、小説によっては差異があるが、およそ次のようなものである。
日本統治時代の台湾、廖添丁の家族は無法にも日本警察(あるいは軍隊)にとって殺害され孤児となる。その廖添丁を拾って育てたのが大陸から渡ってきた武人で正義の師。廖添丁は師匠から武術を習い、台湾を圧する日本への抵抗の心を教わる。
青年になった廖添丁だが最愛の師匠を日本人との戦いで殺害され、彼の抗日への想いはますます強くなり、師匠を殺害した日本人を倒して仇を討つ。
再び天涯孤独になった廖添丁は侠客として武人として旅をする。
その際に出会った仲間と共に彼は日本人から迫害と搾取を受ける台湾人を見て義憤から日本人とそれに協力する台湾人の富裕層専門の盗賊となる。せしめた大金は貧しい台湾人に分け与える。
廖添丁の評判が上がるにつれ、日本警察は面子にかけて廖添丁を逮捕しようとするが、神出鬼没で宙を舞い、壁を駈けあがる超人廖添丁に翻弄されるばかりである。
日本警察は彼の親友の家族(または無関係な貧民たち)を人質に取り、自首しなければ彼らを殺害すると公表、彼らの命を救うため廖添丁は官憲の手に落ち、処刑される。
廖添丁は実在の人物だがこうした伝奇談はかなりのフィクションが入っている。
3.廖添丁の映画と舞台、そして音楽
廖添丁の映画化、テレビドラマ化は台湾では何回も行われた。しかしながら、それらの作品をメディアなどの媒体で確認することは日本では難しい。現在でも入手が比較的容易な二作品をここに挙げておきたい。
★『怪侠正伝 廖添丁』1998年台湾映画
恐らく日本では未公開の作品。百度百科などでは1996年作とする情報もあるが、インターネットの映画データーベース情報やDVDの記述によると1998年の作品であると確認できた。
物語は民間伝承通りの内容だが、冒頭は日本軍による征台戦争から始まる。
時代考証が「甘い」のか、それとも「狙った」のかは不明だが、この場面に登場する日本陸軍は一八九五年の征台戦争では考えられない昭和期の日本軍の近代装備での登場する。
廖 添丁の故郷を遅う日本軍は略奪、強姦、などの非道な行為を繰り広げる。廖添丁の母も日本兵に強姦され銃剣で刺殺される。その様子は「南京事件」の様相を思 わせるものだ。敢えて製作者がそれを狙ったのだったら時代とは外れる日本兵の装備の考証なども説明がつく。
ちょうど1997年12月が南京大虐殺事件の 60周年記念だった。翌年、1998年と言えば、中国系アメリカ人作家アイリス・チャンによる『ザ・レイプ・オブ・南京』が世界でベストセラーになり、ド イツ、中国、アメリカ、日本、イギリスなどからジョン・ラーベ(南京国際安全区委員長だったドイツ人)の日記も、ほぼ同時に出版されるなど、欧米や中国か ら「つくる会」などの動きを牽制する反日攻勢が最も激しかった時期だ。非常に軽い娯楽映画だとしても、この時期の台湾からの抗日としての一つの姿勢の表れ だと見ることも出来るかもしれない。
冒頭の「南京事件」並みの暴虐の後、廖添丁の敵は日本警察となる。警察の装備や表現は時代考証されているので、冒頭の 虐殺場面は「征台戦争」と「日中戦争」を同じ抗日戦争としてオーバーラップさせたものと見て間違いないだろうと思われる。(もちろん、制作に当てる予算な どの関係から他の映画の衣装や小道具を流用した事も十分考えられるのだが。)この映画における廖添丁は終始、正義の青年である。
正義の抗日者である師匠か ら習ったカンフーの達人であり、女性に化けたり変装の名人であり、民衆のために日本人やその協力者から大金を盗んでは搾取に苦しむ台湾の民衆に分け与える 神出鬼没の義賊である。映画全体は歴史性を無視したものであることは認めざるを得ない。
台湾総督の指名により廖添丁の逮捕に全権を与えられる警察部隊の隊 長がロングヘヤーでサディスティックな美女という何とも荒唐無稽な映画だ。印象に残るのは廖添丁の恋人役のタレント、ビビアン・スーの演技とその表現力で あり、この全体的に締りの無かったアクション映画に締りを持たせた一つの大きな柱となっている。
台湾総督の妻となった彼女が、元恋人の廖添丁の敵側に回っ てしまう悲劇性。物語の終盤、廖添丁を逮捕するために、彼を匿う一帯の民衆に武力制圧を行うと台湾総督府が宣言。自首を勧告されて廖添丁はピンチに陥る。 ビビアン・スーは夫である日本人、台湾総督を心では愛しながらも武力制圧の指揮に向かおうとする彼を拳銃で射殺して、自らもその拳銃で自殺する。自らの頭 に拳銃を当てながら彼女は泣きながら言う。
「あなたを愛していました。でも、私も台湾人なんです・・・」
彼女の行為は元恋人の廖添丁の命を救う目的ではな い。台湾人を代表した存在として、廖添丁と同じく台湾人の人びとを救うための犠牲的行為として物語を締めくくる。
もちろん、これはフィクションである。し かし、この映画の主張する植民地支配の構造と抵抗は廖添丁と彼女の存在がよく表している。ビビアン・スーはこの映画の十数年後にウェイ・ダーション監督の 『セデック・バレ』で日本人と台湾山地先住民というアイデンティティの狭間で翻弄された高山初子役を演じるが、奇しくも彼女が演じたこの二つの役柄には植 民地支配下の台湾での民族としての揺れや葛藤が、共通項として結ばれている。『怪侠正伝 廖添丁』では廖添丁は元恋人の犠牲的行為によって生き長らえると いう物語として終わる。
★創新新劇『廖侠添丁』
台湾の演劇文化については不勉強なため、こうした形式の舞台芸術作品が台湾ではどの位の人気を得て、大衆化されているのか私には想像が及ばないがつかない。日本で言えば「大衆演劇」や演歌歌手による「座長公演」に近
古いタイプの歌謡演劇といったところだが、主な主演陣が女性が男性を演じるなど宝塚歌劇にも通じる華やかさと雰囲気も持っている。文句なしに楽しめる作品だ。
ここに登場する廖添丁を巡る物語は先に挙げた映画『怪侠正伝 廖添丁』とほぼ同様である。廖添丁を愛する女性が日本側に付いてしまって敵対関係にあるところなども同じだ。
最も違っている点は『怪侠正伝 廖添丁』では抵抗者が勝利する楽観的顛末に対して、この作品に登場する廖添丁を含め抗日側の台湾人、日本側でない台湾人はすべて日本警察と日本兵によって終幕で殺害されるという点。
廖 添丁を官憲が銃殺した後、日本軍司令官による「日本帝国万歳」の唱和の後、廖添丁は虫の息で「台湾呢・・・・」(最後の抵抗しての「台湾だ・・・」という ニュアンス)と言い残してこときれる。
そこで幕が降りる。最後の場で台湾人の抗日とその敗北の悲劇、死を持ってもなお失われない台湾人の民族としての誇り がこの演劇でも映画『怪侠正伝 廖添丁』とは違った形で表現されている。もちろん、映画『怪侠正伝 廖添丁』同様に荒唐無稽な娯楽作品でいることは言うま でもない。
美空ひばりの戦後のヒット曲が歌われたりと歴史や文化を反映していない。にもかかわらず、抗日文化作品に必須の「侵略者」「抵抗者」「同胞の叛 徒」という三つの要素がはっきりと揃っている。
★『廖添丁管弦楽組曲』馬水龍 作曲
台湾の現代音楽作曲家、馬水龍が1991年に発表した序曲から第五楽章まで6つのスケッチからなる管弦楽組曲。
馬水龍は1939年に台湾の基隆市に生まれ た。1959年国立台湾芸術専科学校に作曲専攻で学び、1972年に奨学金を得て西ドイツのレーゲンスブルク音楽大学に留学した。馬水龍の作品は民族音楽 の要素と民族楽器を西洋音楽の中に取り入れた、アジア民族的旋律を持った西洋クラッシック形式の音楽である。映画のような視覚で見せるものではないが、こ こでも廖添丁像は映画や舞台と同じ抗日英雄として描かれている。
日本の官憲を相手に神出鬼没の活躍、大詰めでの追い詰められての危機はスリリングにしかも 壮大に表現される。この音楽作品においても廖添丁は義賊であり民衆の英雄である。
馬水龍は民族楽器と民族音楽を管弦楽に取り込む手法で台湾人の民族として の誇りを抗日英雄廖添丁に託した訳である。ところが、作風は東アジア的で日本の作曲家の戦前の交響曲や管弦楽曲と相通じるところが多く、例えば伊福部昭で あるとか、貴志康一であるとか、そういった作風に近く、恐らく日本人が聴いても違和感を感じないだろう。余程のクラッシック音楽の専門家でなければ台湾的 旋律や拍を日本の民族音楽的クラッシック音楽との相違を指摘するのは難しいだろう。
しかしながら、『廖添丁管弦楽組曲』というタイトルが象徴するように廖 添丁を主人公にした時点で、既にこの作品が台湾民族の尊厳と抗日文化の一端であることが明確になる。廖添丁の名はこのように日治時代の台湾における「抵 抗」の民衆英雄としての象徴として根付いている一つの表れだろう。
4.廖添丁の実像
では、実在した廖添丁とはいかなる人物であったのだろう か?
廖添丁は1883年、台中に生まれたとされる。幼い頃に父母を喪った彼は少年時代から生活のために盗みを恒常的に行なっていたようで、18歳の時に初 の投獄。出所後も度重なる窃盗罪で逮捕、入獄を繰り返し改心する様子もなかった。彼にとっては監獄があたかも住居であるかのようなこそ泥だったのだ。
その 廖添丁が注目を浴びるようになったのは、彼が日本人や日本人に協力する富裕層を得意として狙っていたのことと、ある有力者の家に盗みに入った際、発見され 警察と銃撃戦になり、一名の「漢奸」(裏切り者、日本人に協力する台湾人)を殺害してしまったことに端を発する。日本協力者を殺害した廖添丁は警察にとっ て面子をかけても逮捕せねばならない存在となったのだ。
廖添丁は警察の追求を逃れながら、逃亡生活を行う。彼を匿っていた友人、杨琳が廖添丁逮捕に躍起に なる警察にマークされ家族を人質に取れてしまう。杨琳は廖添丁の居所を警察には告げず、自らの手で洞窟に潜んでいた友、廖添丁を熊手で襲って殺害した。 1909年、享年27歳。廖添丁は映画や演劇のように支配者である日本人ではなく、同胞の台湾人によって殺害されてしまったのだ。しかし、この実話は民衆 の間に語り継がれるうちに廖添丁を抗日義賊英雄に書き替えてしまったのである。
その背景には台湾の抗日映画(大陸を舞台としていないもの) ではその敵が絶えず軍隊よりも警察であったように、民衆のあいだでは警察が横暴な存在として苦々しく映っており、民衆には警察への鬱憤がかなり集積されて いたのである。近年の台湾映画『セデック・バレ』でも描かれていたように、台湾統治に当たった警察は治安維持と共に民衆の教化の役割も持っていた。
それは 日本的な倫理観に基づく教化であり、台湾民衆にはそうした日本人警察官の横暴で傲慢な態度に反抗心が宿っていたのだ。その不満や鬱憤が逃亡で散々、日本警 察を手こずらせた廖添丁を英雄にした。その英雄像は史実とは反して今も生き続けている。廖添丁が日本人や漢奸の金を狙ったのは抗日という明快な意思表示で はなく、そこにはより多くの金銭があったからであろう。
しかし、そんな廖添丁を正義の抗日英雄に育てのは台湾の民衆であった。それほどに日本統治は 我々、現代の日本人が思っているよりも過酷な抑圧を被支配を受けた台湾民衆に与えていた何よりもの証であるだろう。現在も廖添丁は抗日英雄として愛されて いるのだから。廖添丁はこれからも日本では知られざる存在として語られることもないだろう。
歴史的大事件が関係しているわけでもないから、 日本の歴史修正主義者たちから「廖添丁の正体はコソ泥だ」とも言われなくても済む訳だ。
廖添丁はこれからも、自由と平和と支配や抑圧を二度と受けない台湾 の民族英雄として、台湾民衆の伝説と夢であり続け、その胸の中で生き続けるだろう。
それはあの忌まわしかった植民地侵略戦争を忘れない一つの標として台湾では残ってゆくのではないか。その点において、史実がどうであれ、廖添丁は間違いなく台湾人にとっては忘れられない抗日英雄なのだ。