『青い山脈』の原作本と映画『青い山脈88』のシナリオが届いた。
『青い山脈88』は駄作として一刀両断されて来た映画。僕も公開当時「先生はセックスを したことがありますか?」というポスターのキャッチコピーに嫌気がさして見に行かなかった。
先週、ビデオで見たがこの作品を駄作と決め込んで捨ててしまう ことが是であるのか疑問を持った。
映画評論家も観客も違和感を感じただろう。しかし、原作→東宝映画→日活映画→88へと連環して観ればこの作品が問いか ける戦後民主主義の在り方が分かることに気が付いた。88から今井正の映画へ再び蜂起が促されるループを観るかのようだ。下らない映画を下らない映画とし て片づけるのは容易いがなぜ1988年に『青い山脈』なのかを考えると途端に何かが見え始めた。
『青い山脈88』は『青い山脈』である必要はなかったはず。
僕は青い山脈を抗日や蜂起の文化として範疇に入れて考えていたが、それは遠からず当たっている かもしれない。
抗日研究ではないが戦後民主主義の旗手だった『青い山脈』とその過去、88に至る道のり、そして戦後民主主義蜂起への回帰のループをちょっ と考えてみたくなった。