
今回の論文執筆に意外や役に立ったCD。ドイツで発売されているニュルンベルク裁判の被告証言の録音CDだ。写真はリッペントロップだが他にゲーリ ングやカイテル、シュトライヒャー、など数々ある。ほぼ全部揃えていたがあらためてこんなものが売ってるドイツはすごいなあと思った。
もちろん、研究者向けではない。これは一般のドイツ国民に向けた書籍の一つなのだ。
以前、の職場でドイツのフライブルク市から来た議員や役人の人たちからたびたび尋ねられた事がある。
どうしてこの様な大きな都市ななのに市立劇場、市立音楽堂がないのだ?市立劇団や市立楽団がないのだ?
彼らが語るのは文化は大衆の最も近くに存在していなくてはならないという事だ。
日本の伝統芸能だって大衆の身近にはない。
何でも西欧社会がいいと感じるのは明治維新に退行してしまう考えだから決して肯定は出来ない。
しかし、文化については違う。
西欧の文化が日本より優れているというのもでもない。
日本の文化は素晴らしいしそれはこの国の財産だ。
ただ、それを扱う側の問題だと思う。
日本は近代以降、日本は西欧文化を取り入れてそれに肩に並べることをまで出来るようになった。
音楽だったら日本の小唄や端唄といった庶民の音楽とジャズを組み合わせる試みなども発明できたし、素晴らしいことだと思う。市丸の『三味線ブギ』がカーネギーホールで万雷の拍手だったことなどその表れだろう。
しかし、問題はそこからだ。
書籍を例にとればヨーロッパでは日本では日本では誰も読まないような専門的な昔の名著が150円位で買える。絶やさず出している。しかも安く。
日本では出版されていてもバカ高く、あるいは何十年も絶版のままだったりする。
CDや映画DVDも過去の映画は殆どドイツでもアメリカやでも大概は未だに出ているものが大量にある。日本で発売されていない地味な映画なんかもアメリカ、イギリス、ドイツなどでは発売されていたりする。
市場の大きさも関係するのかもしれない。しかし、日本はこうした文化の保管をあまり意識していないと思えてならない。
文化の奥行きの広さとその物量は国民の質に関係する重大な問題だ。
安いのは受験参考書だけじゃないか!
国民に安く幅広い文化を!
流行のサイクルに翻弄され、なんでも絶版にしちゃう過去の文化遺産を顧みない日本人はどうしたものだろう。
文化人としての日本国民は西洋の文化人には勝てないのは当たり前の様な気がする。
ちょっと、そう感じる今日この頃である。
ドイツにはこんなCDもある!クラウゼヴィッツの『戦争論』朗読CD。