僕がある地方自治体の国際交流協会に勤務し始めて、最初に大きな仕事が入ってきた。「○○○まつり」という、市民と在住外国人の交流イ ベントだ。最初の5回目位までは毎回、色々な企画が年変わりで行われた。それらはまた別の機会に書くとして、時期から「○○○まつり」は一定の形態で毎年 同じ事を行う恒例イベントとなった。大きな会場ホールを地球に見立ててて、そこに各国のブースを設置する。各ブースは市内や県内の在住外国人をリーダーに 市民のヴォランティアが参加してチームを編成することになっていた。留学生の数が圧倒的に多かった中国、韓国は日本人ボランティアは必要とせず、自国民が 運営した。参加国は多い時で20カ国を超えていた。
会場入口が出国カウンターになっていて、来場する市民はカウンターでパ スポートを受け取る。「地球人パスポートだ。」参加者は韓国ブースから入国し、各国ブースを回ってゆく。ブースでは何かその国の異文化体験をしなければな らない。それは各ブースのスタッフが準備している。受動的ではなく、能動的にそれをこなすと各国の入国スタンプがもらえるという訳だ。一種のスタンプラ リーだが、各ブースで何かを体験しなくてはならないという点が、単にポイントを回るだけではないという趣向が意外にも受けた。
地球一周すると出国カウンターで地球人認定される。
今から考えると「国家」という枠組みの単位で分離することで、多文化共生促進という理念を浸透させようという発想には少し問題があったかもしれない。
「万国旗事件」はその「○○○まつり」の初期のころ起こった予想もできない出来事だった。
ホールを前にした中庭には殺風景だった。イベントの企画運営、実行を行うのは我々の仕事だが設備、立て看板とか舞台を作るのは設営業者の仕事だ。最初は中庭に万国旗を飾るという話はなかった。
言いだしたのはセンターの所長だった。万国旗という発想は運動会や祭りの乗りだったのだろう。
私 と相棒の同僚は、どちらかというと国旗という布切れ一枚で共生が妨げられているのではないかと考 えている方だった。畏敬の念など全く持ち合わせていない。私達はセンター長の万国旗を吊るすという如何にも「古風」な発想と「万国旗」に少々嫌悪感を感じたが、そのままその案は通過した。
前 日から「○○○まつり」各国のブースの準備が始まった。当日、万国旗は中庭をそれ程目立つものでもなく、単なる飾りであった。人間には他の動物と違って不思 議な習性がある。それは自分の視界の上部にはほとんど関心を示さないことだ。試しにショッピングモールの二階からゆく人々を観察してみればいい。誰ひと り、私から見下ろされているとは意識しない。万国旗もその程度のものだった。
イベントが開催される直前にその事件は起こった。
「大 韓民国」ブースの留学生の一人が万国旗の中に「日の丸」があるにも関わらず「大韓民国旗」がないと言うのだ。万国旗といっても万国の旗が揃っているわけで はない。単なる装飾品であるから、企画によって何カ国かの旗をひとつのユニットにして、それが連続して繋がっているだけのものである。
万国旗の規格や金額によって5カ国一ユニット、10カ国一ユニット、という具合に製品が作られている。
業 者が持ってきた万国旗には日本、ブラジル、ネパール、イギリスなどの旗はあったが確かに「大韓民国」の旗は含まれていなかった。これを発見した韓国人留学 生は地元では長のような存在の人だった。その事が事態を悪化させた。彼は私にこれは祖国に対する侮辱であるとはっきり伝えてきた。その態度、語調は不思議 と今でも、はっきり印象に残っている。毅然とした態度だった。
設営業者に直ぐに連絡した。設営会社の担当者が直ぐにカタログを持参して会場 に駆けつけた、その業者には韓国の国旗を含んだ万国旗は常備していないということだった。他社に依頼しても設営には間に合わない。撤去するにも撤去のため のスタッフが業者にはその時間割けなかったのだ。
万国旗担当の上司はこの騒ぎを知るや蒼白して何処へか姿をくらました。
「大 韓民国ブース」のリーダーでもあった、この留学生の長は万国旗の中に「日の丸があって、大韓民国の国旗がないのなら、このイベントへの参加は辞退しま す。」と告げ、開催寸前に後輩や仲間に指示してブースを片付け、早々に立ち去ってしまった。チームの中には不参加に反対する声もあったようだが、上下関係 がかなり厳正だったこのチームはリーダーに従った。残されたのは「大韓民国」のブースに建てられた国を示すパネルだけとなった。私たちはこの無人となった ブースを撤去するかどうか決断に迫られたが、同僚と話し合って放棄はそのブースの意思だからそれを尊重すべきだと判断し、そのまま無人状態で放置した。 1000名に及ぶ市民が押し寄せるイベントの開催直前にそのブースに急遽、朝鮮文化圏の人員とスタッフを補充する余裕はとてもなかったのだ。
イベントが開幕すると直ぐに、他大学の韓国人留学生が私に話しかけてきた。
「韓国のブースに誰もいないじゃないですか!どうなっていますか!」
私は手短に事情を説明した。
この韓国人留学生の意見は真逆でブースを無人にする方が国の恥だと言う。
彼は直ぐに携帯電話を取り出すと何人かに連絡をした様だった。
驚いたことに30程で韓国人、在日コレアンの人々が会場に駆けつけた。
幼い娘にチョゴリを着せて連れてきたご婦人もいた。
ブースではヴォランティア即興で韓国の子供たちの遊び教室を始めた。
我々が何の手を貸すことなく、自然発生したかのように「大韓民国」ブースは機能を始めた。
終盤に近づくと、元のスタッフもブースに入って来場者と交流していた。
元リーダーはブースへ入らず、少しバツ悪そうに中庭で子供達と韓国の蹴り玉のゲームを教えていた。
私と公民館のスタッフによって自力で、その間万国旗を取り外した。
イベントが終了すると「万国旗事件」は終わっていた。
私はこの事件で幾つかの事を学んだ。
日本人の国際化という謳い文句の影に無意識の無神経さを感じたこと。
そして、国家という枠が消えても民族の共同体が政治から離れて自然発生的に活動をするものなのだと。
万国旗には必ず「日の丸」が入っている。
逆に考えれば「日の丸」が無かっても我々にはそれ程の重大事ではない。
実際、中国人留学生は笑って「私たちの国の旗もないですよ、気にしませんよ。韓国の人、細かいですよ。」
しかし、そうだろうか?
リーダーの毅然とした態度を見たとき、私はその背景に朝鮮半島を明治維新以来、常に蹂躙してきた日本という国家の歴史的責任を我々は完全に喪失していることに気がついたのだ。
彼の毅然とした態度は我々だけに向けたものではない。
我々日本人全体に向けたものであったと思う。
国旗、私はそれを容易に認めることが出来ない。
常に戦争と略奪の正に「旗印」であったからだ。
国家主義的な彼の態度に少々、嫌悪感を感じずにいられない。
それは我々が被害者ではないからだ。
反日・・・日本人にとって聞きたくない忌まわしい言葉・・・
そうではない。彼らは一人相撲を取って憤慨しているのではない。
それ以上にその憤慨に無関心に呑気に眺めている我々が許せないのだ。
イベント責任者であった私は彼に少々怒りを覚えた記憶がある。
当時、私はまだ分かっていなかったのだ。
そして、今も私たち日本人は「万国旗事件」を分かってはいないのだ。
あるいは分かろうとする意味すら知らないままでいるのだ。