昨日、大阪は九条のミニシアター「シネヌーヴォ」で開催された『セデック・バレ』公開記念講演会「霧社事件を語る」に参加してきた。参加者は中高年者を中心に約30名程だった。
講 演者は国際交流基金の職員で翻訳家でもある魚住允子氏。氏は「霧社事件」に関する台湾の研究家、鐙相場氏の著作三冊の日本語への共訳を努めた人。その関連 から霧社へも出向き、実際の事件を知るセデック族の老人、郭明正氏とも旧交を温めているという。郭明正氏は映画『セデック・バレ』の監修にも参加してお り、映画公開当時『真相・巴萊』という著作も出版されている。
講演会では霧社事件の実相を魚住氏が語るもので、タイヤル族とセデック族の混同の問題など貴重な話が散りばめられていて大変参考になった。
僕自身も数回、質疑応答で疑問点を質問したが大変有益なヒントが得られた。
ただ、気になったことが二点あった。
一点は映画と史実の相違についてである。
講演の途中からは映画と史実の相違の問題に講演の話題が中心的テーマとなり始めた。
ウェ イ・ダージョン監督はたいへん真面目な映画作家である。『セデック・バレ』でもあからさまな抗日プロパガンダ映画としては制作しなかった。この研究に着手 してまだ間がない僕だけれども史実と映画にはそれ程の大きな差異はないと感じている。修士論文の際に取り上げた南京事件をテーマにしたドイツと中国の合作 映画『ジョン・ラーベ』はその映画の内容の虚の部分が殆どで原作となった「ラーベ日記」は全く素材とされていない程史実からは離れたものだった。これは殆 ど論外だ。しかし、中国でこの映画を観た人々は映画を史実だと受け取っている。
『セデック・バレ』の場合はどうか?
映画 のラスト辺りで蜂起したセデック人たちが日本軍を押し戻し境界線である峡谷に架かる日本人が架けた近代的な吊り橋まで迫るシーンがある。最後の突撃に蜂起 指導者のモーナ・ルダオを先頭に橋の中央まで来たとき、対岸には火砲と兵士を待機させた鎮圧軍の司令官鎌田少将が待ち構えている。
鎌田は「お前が モーナ・ルダオか?しっかりその顔を見たぞ。」と言い待ち構える。モーナの前に進み出た若いセデック人が吶喊し、モーナたち蜂起軍は鎌田の待ち構える陣地 へ橋を渡って突撃する。鎌田の命令一下、火砲が火を吹きモーナたちが橋を渡り切るまでに橋は木っ端微塵に砕け谷底へと蜂起軍もろとも落下する。
魚住氏はこの様な事実はないと語る。最後の反撃の際にはモーナ自身は山奥へ入って若い指導者に戦闘を任せていたというのである。それは事実だろう。僕自身も映画を見たときこれが映画の嘘であると最初から認識していた。
しかし、僕はこのシーンが「虚」だとは思えない。
実 際にモーナが蜂起の指導者で鎌田少将が鎮圧側の指導者であったことは事実であり、セデックと日本人を分ける境界線に架けられた橋(それは日本が人と人を結 ぶ目的で建設しながらもセデック人の尊厳を奪い続けた文明という象徴なのだが。)で対峙するということが歴史的事実としてなかったとしても、これは両者の 文明と尊厳の対立の構造として全てを語る象徴としての明らかな史実なのだと僕は思う。
また、映画では百人単位で殺傷される日本軍側の実際の戦死者は28名だったことや、先述の郭明正氏のアドバイスによるセデック人のメンタリティーの小さな捉え方の誤りなどを監督は映画構成上、退けたなどを詳細に語られた。
途中からは映画の「虚」と「実」の指摘が主な内容になり、それはこの映画に対する批判とも受け取れるものだと響いてきた。
講演会の最後で映画館主は少々狼狽気味に「映画の冒頭にあるようにこの映画は史実を基に改編した作品ですと出てきますから、今日の先生の話と合わせてその辺を含んでご鑑賞ください。」と結んだ。
映画芸術がなんたるかを知り尽くしているであろうこのミニシアターの館主にとって咄嗟に出たこれは本音だったろう。
事実を重んじる歴史家的な視点と文化としての映画表現への視点の乖離が見事に露わになった瞬間だった。
も ちろん、歴史映画を全う史実と鵜呑みにしてしまう事は危険である。そこに観衆は陥入りやすい。フィクションであると分かりながらも『タイタニック』にディ カプリオが乗船していたかのような錯覚は拭えなくなるものだ。それが映画の力であり、それをゲッベルスやセルズニックは知り尽くしていたのだから。
僕の感想はこうだ。
映画は事実ではない。史実との乖離は当然あるのが当たり前なのだ。
歴 史家は文化としての映画に触れたとき、それが「虚」であっても「虚」では済まさず、映画が何故その「虚」に出たかをまで読み取って欲しいということだ。映 画という大衆文化の「虚」を突いただけに終わわせるならそこで終わってしまう。昨日の講演会でも史実がこうなのにどうして、「虚」のシーンを敢えて監督は 創造したのか?それは史実と些かもズレないのだという部分まで是非とも踏み込んで欲しかった。
第二の点は魚住氏の講演内容と、氏が訳した鐙相場氏の著作の言説とに大きな隔たりがあるという点だった。
其の辺を訳者自身がどの様に捉えているのか批評なり意見が聞きたかったという点だが、このことには一切触れられなかった。
第二の点は別として、第一の点は重要であると思った。
事実と文化の視点というか、その乖離というか、その対立を目の当たりにしたとき、自ずと自分の研究の方針がはっきり明確化したことに気づいた。
文化による歴史と表象。
その関係。そこから何か読み取ることの大切さ。
そして「虚」と「実」のそれをなんたるかを読み取り融和させてゆくこと。
漠然と感じたことだが熱烈な歴史狂としても映画狂としても、双方の視点は失わず研究に取り組まなけれなならないのかと改めて感じさせられた。
それだけにたいへん有益な講演会だったと感謝している。
(プロの研究者に対しての不尊な我が雑文、研究者諸先輩の皆様に平にお許し下さい・・・)