駅ビルのこの巨大なゲートを潜り京都の街に入ってみた。
お酒の美術館と書かれた看板が目に止まったので、
名前に引き付けられて入店した。
酒のおつまみは、仕切りのない隣のコンビニから購入する。
水分補給、少し酔って気分転換できる。
京セラ美術館
祇園界隈を散歩
花見小路
詩人が岩手大学から家に戻ったら、友人や地元の人、
親兄弟親戚ともいきなり合わなくなった。
当時、地方の農業生産構造の大部分はまだまだ戦前世代の農業であった。
数多くある秘密の国家プロジェクトXの一つに、岩手大学も分配された予算を
もらい、地方の民主主義的な教育農業事業を実行していた。
単純に表現すると、離農、脱自営業で、サラリーマンに、
その事業の延長が今日の日本の姿である。
戦前世代の多様な人々の構造と文部科学省が見えない対立、
その長年の経過を観察してきた。
詩人は、ある歴史の主人公的立場にあり、
両方の板挟みの状態になることも知ってる。
一生一人という孤立した運命になることも、
大学時代の先生との未来予想的会話で感じてた。
詩人が23歳頃は、昭和時代が間もなく終わる頃で、
牧歌的で穏やかな眠りこけた日々が毎日続いていた。
東京という大都会は、詩人にとってキラキラ輝いてる
憧れの希望空間であった。
今から思い直すと、なぜ、出版会社を選択しなかったのか、
後悔してる。(本の製造から書店までのどこか。)
教科書で習った日本社会の流通の構造改革行政が、
少し始まってた時代である。
生産から小売りまでの流通経路が複雑で、中間マージンがかかりすぎた。
食糧庁、農協が米、肉、魚等食品流通機構を管理してたが、
従来からの中間経路を改善し小売価格を下げて販売するスーパーなどが
実験的に各地に出店されてた。
地方と都市を結ぶ高速道路などのインフラや
冷凍したまま運搬するコールドチェーン自動車、
消費する集合団地造成など、
日本列島改造論を実施してた時期であろう。
省庁職員で考えると、衣食住全部の機構装置の回路変更である。
約15年以上経過するが最近は、
消費者金融の利子率をグレーゾーン18%前後に統一する制度ができた。
詩人の場合は農林水産省の食品だけでなく、寝具家具電化製品なども関係してた。
現在は大量生産された商品を、
直接インターネットなどの通販で安く自由に購入できる時代になったが、
当時は、中間業者の権力が強く、勝手にこれまでの販売経路から外れて
売買することは犯罪であったかもしれない。
国内だけでなく国際貿易でも同じパターンが考えられる。
国際貿易間における新しい構造が衣食住全部の分野で必要。
おかげで、更にコストダウンした食品など購入できる時代になった。
省庁もいきなり全部の流通回路変更できないので、
その分野種別で対応が早い遅いがあるが、
テレビマスコミなどで公表されない見えない部分で、
秘密に実行されてた。
その結果が現在の日本の姿であり、形である。
つまり、大規模スーパー、ホームセンターが出店、
対応できない全国の個人商店、会社の大部分は廃業となった。
京都の街は伝統文化がかなり維持されてる。
ここに住めるだろうか? という思いがある旅行でもある。





