日光田母沢御用邸は明治32年に大正天皇のご静養のため造営され、

 

       昭和22年に廃止されるまで三代にわたる天皇・皇太子がご利用になりました。

 

 

 

         日光田母沢御用邸は、この地にあった民間住宅(小林家別邸)に、

 

         当時、赤坂離宮などに使われてた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、

 

         新たな部分を加えて造営されました。  

 

                           ( 日光田母沢御用邸記念公園パンフレットから抜粋)

 

 

                              謁見所

        

 

            部屋数は全部で106室、奥向きが23室、臣下向きが83室、

 

            ご滞在中は大勢の補佐が必要とされてた。

 

 

          ここは戦前時代の空間である。

 

          戦後の、お金で多様化された植民地思考形式とは異なる伝統空間である。

 

 

            感情たちの流れの行く先に戦後の多くの障害物ができた。

              

 

              それは幾重にも分岐して流れ落ち、

 

              阿修羅のような人生や時を、

 

              気づかずに過ごしてるのかもしれない。

 

 

         幾重にも分岐された複雑な感情たちは行き先を失って、

 

              澱み、腐敗することもある。

 

              あるは流れ落ちを繰り返し、

 

              時には修行僧のように孤独の道を歩む。

 

 

         また、時が来ると、その阿修羅のような感情たちは、

 

              直観的に悟り、

 

              大きな流れに統合されて未来の自然の一部となってゆく。

 

 

              その大きな流れと合流するための、

 

              戦後の感情のプロセスを通過してる時かもしれない。

 

 

 

               桃桜 花とりどりに 咲き出でて

 

               風長閑なる 庭の面哉  (御神籤第22番)

 

 

 

              天皇家は元来、日月紋(じつげつもん)を紋章としていましたが、

 

              定説では後鳥羽上皇が菊好きであったので、

 

                              その後、菊紋が天皇家の紋章になったといわれてます。