平成31年4月29日 am5:30頃、 弘前城公園を散歩中に、
堀に写った残雪の岩木山と桜満開の風景に出会い、
令和という次の時代を祝福してるような記念の日になった。

このフォトの左の土塁の内側が護国神社で、
ここに例大祭スタッフとして宿泊した。
今朝目覚めると、もう一人の私人がなんか考えてることに気づいた。
それは、個人の内にある複数の魂のこと。
個人の魂は1つではなく、幾つもある。
例えば、優しい魂、荒ぶる魂、知的な魂、凡庸な魂のように種類も多様、
そして、陰陽の程度により、
仏像の多面菩薩や阿修羅のような構造になってるらしい。
人生というパフォーマンスの期間、
どの魂を育て生長させるかという選択の一生でもある。
単純に、例えば、花の種子を魂として、
大部分は、職業をメインとした世界に1つの花を咲かせることを目標としてる。
学校を人生の最終目標に設定してしまい、
それ以後の人生で、なんらかの理由で魂を傷つけてるようなこともある。
もちろん、学生時代に魂の生長と並行させて、
なんらかの発見がある一部の恵まれた天才的人々もいる。
所有してる魂の種類の能力を観察して、どの魂を諦めず育てるのか、
そういう個々の風船のような空間に流れてる魂たちの生物的活動時間、
あるいは経済的活動時間を思った。