名川秋祭りのパレードに参加してると、
自分の役割だけの範囲で毎年終えてしまってた。
簡単にそれを表現すると、自分の町のお祭りを見たことがない。
全体像を
殆ど知らないという期間が15年ぐらい続いた。
昨年からカメラを持って行列をずっと観察してると、
往く川の水の流れは元の水にあらず、
毎年同じ行列でも、参加してる人々が大きく変化してる。
そういう微妙な楽しみ方もみつけた。
山車の上で踊りや歌を披露するお祭り形式の一部それぞれの町内山車の空間領域の範囲内で、集合して活動する時間領域があり、そして逝く人、生まれる人たちの継承のような流れの、関係のような縁が続いてる。個々の家々の所有物として限定された面積空間の権利があり、それを維持管理してゆく限定された期間もある。戦後は、この次の世代が少なくなった、というか仕事の都合で他へ住むことになった。戦後社会の土地という多種類の物権がまだまだ未整理であり、そういう限定された空間と時間の権利を、考え始めている。それは、私有物と公共の福祉の調和のような中間部分の割合や優先のようなところで、法的整備も少しできて、ようやく始まったばかりに見える。これまでの混乱は何だったのか?ということもあるが、誤魔化すしか方法がなかったのである。
