私は地域社会をずっと観察してきてる。

         その始まりの基準は、戦後からであることが分かってきた。


         地域社会を形成してきた数百年、

         千年前後の歳月の流れのプロセスという伝統や封建を、

         いきなり、あるいは何十年もの歳月をかけて、

         崩壊、あるいは解体させてる。


         戦後のアメリカの法律に関する本は読んでないし勉強もしてない。

         マッカーサー占領政策と日本の法律と、

         どこがどう違うのかという具体的なところも知らない。


         戦後の日本は、分からないことだらけの国家になってしまった。

         学校教育だけでいいのかもしれない。


         それで、アメリカの命令に従ってれば、

         成り上がって出世できる仕組みになってるが、

         そろそろこういう一時の時代も終わりになった。 


         公共事業によるインフラ整備事業政治を戦後から約70年実施してきた。

         その資金源は国、あるいはアメリカや投資国なので、

         最終的には、

         その資金全部が国、あるいはアメリカなど他国、

         どこかに利子などをつけて戻ることになってる。


         私が察するところによると、

         まだまだ日本社会は未整備であり、

         地方社会は更に、まだまだ先である。


         今生きてる大半の人々は利用されず、

         混乱した反対、反対で、回転回転の矛盾した一生を終える時代であり、

         無駄仕事ばかりなので生きてる意味も無くしてる

         ことも想定内である。

 
         国民とは別の秘密法が制度化されてるので、

         これが最も確かな法でもある。
         
         これらを分かる人は、国家の最上部にいる特殊な管理職の人々だけである。





         プールサイドには、世界中から家族連れで、バカンスを求めて人々が来てる。


         見てると、1日何もしないで朝から夕方までいる老人夫婦たちがいた。


         子育てが終わった定年退職後のリッチな知識階級の人々、

         長年老人をやってるようなリッチな人々、

         四季に合わせて1年のうち何度も世界中のいろんなホテルで生活してる、

         そんなライフサイクルを楽しんでるように見えた。


         この老人たちのリッチな思考空間がある。、

         この老人たちの思考空間のこと、

         あるいは、なんか考えてなんか練ってるところに少し触れたような気がした。



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            多くのプールチェアが並んでて、空いてる場所を自由に選択できる。

            椰子の木の下で、時折そよ風が吹いて気持ちいい。

            ただ、ハワイのように音楽は流れてないのはなぜなのか?

            少し不思議に思った。