
バンコクのくもを暫く見てた。
この後、このくもの正体がなんであるかのように変化していった。
寺社などを守護する想像上の聖獣のような形に数分なって消えた。
その巨大な形を空想しながら、じっと眺めてた夕暮れ時があった。
芥川龍之介著の「くもの糸」のように、お釈迦様でなくてよかった。
人は、なんらかのきっかけがあり、眠りから目覚める。
それは、朝の目覚めだけでなく、思春期の目覚めもある。
種の保存、種の相続ということもある。
三島由紀夫 暁の寺では次のように書いてる。
「種子生現行」 「現行薫種子」 「種子生種子」
これを理解するのも時間がかかり、また悩むことになるので、違った視点で考えてみた。
果物をたべたとき、種子が入ってる、入ってないという理由についてである。
バナナ、パイナップル、温州ミカン、次郎柿などは、単為結果性が強く、
受粉しなくても実が育つ。
平核無は偽単為結果植物なので、受粉するが生長の過程で
胚の発育が停止するので種ができない。
種無しブドウなどはジベレリン液に漬けて、受粉と受精が終わったと、
ブドウに錯覚させてつくるらしい。
富有柿など殆どの果実は単為結果性が弱いので、受粉と受精が必要で、
種子を含む果実となってる。
種子は代々次の世代に、未来に向かって種子から種子へ情報を伝えて、
空間を進化させるパッケージ袋のようでもある。
いろいろ考えさせられるが、私的にはこれら全部は途中思考です。
暁の寺より抜粋
輪廻転生は人の生涯の永きにわたって準備されて、死によって動きだすものではなくて、
世界を一瞬一瞬新たにし、かつ一瞬一瞬を廃棄してゆくのであった。
・・・・相続には、業種子の助縁が要る。
この周辺が人生を決めるポイントとなるかもしれない。
やはり、なんらかのきっかけがあり、ある時集団的に眠りから目覚め、
民主主義に覚醒することがある。
そして、国家的業種子の思考で、
民主主義のような時代を創り始める、という繰り返しの歴史がある。
例えば、それがミツバチや蟻であったら、その生物集団はどんな事態になるんだろう?
女王蜂も、女王蟻も、働き蜂や働き蟻と同じ民主主義を考え始めたら?
王室、城など、封建時代の支配階級と労働者の関係でもいい。
個々が、それぞれ自由な権利を所有したら、平等な時代になったら、
どのようにその種は変化してゆくんだろう?
それを統率する次元の高い思考が要求され、必然的に進化することを迫られる。
何度も生物は脱皮して機能も形も変化させてゆくんだろう。
オリンピック空間に入れるかどうか、これも一つの基準かもしれない。