暁の寺  ワット・アルン

              後で気がついたが、打ち上げロケットのようなスタイルの塔である。

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            BTS(モノレール)でサバーン・タークシン駅まで行き、

            そして、チャオプラヤー川を上流に向かうエクスプレスボートに乗りかえた。


            川の水はかなり汚い、多くのゴミが浮遊して上流から下流に、

            ゆっくりと流れてる。

            あのゴミはなんだろう?とつい思ってしまうので、

            目線を左岸右岸に移した。

            どちら側にも、大きなホテルや観光施設があり賑わってる。


            三島さんの小説の舞台の時代は太平洋戦争前から戦時中、

            そして戦後。

            少しその当時の雰囲気を探してみた。

            
            三島由紀夫著 暁の寺より抜粋

            かつてあれほど若い日の自分を悩ました唯識論、

                           あの壮大な大伽藍のような大乗仏教の体系へと・・・

                           バンコクの残した残した美しい愛らしい一縷の謎をたよりに、

                           却ってらくらくと帰ってゆけるような心地がした。

            さるにても唯識は、一旦「我」と「魂」を否定した仏教が、

            輪廻転生の「主体」をめぐる理論的困難を、

            もっとも周到精密な理論で切り抜けた、

                           目くるめくばかりに高い知的宗教建築物であった。

                           あたかもあのバンコクの暁の寺のように・・・・



                           暁の寺が見えた。

            ワット・ポー側の船着場で下船して、対岸のワット・アルン行きのボートに乗り換えた。

            座席が少なく、軍服を着た人の隣に座った。 

            軍服には身分、階級などを表示する多くのバッチが付けられてる。

            日本的にはファッション衣装と装飾品バッチに見えるが、学校の先生だという。

            後、知ったことだが、今、タイ国の主権は、国王、国民でもなく軍隊にある。

            
       
            唯識とは、眼、耳、鼻、舌、身、意の六感に、

            第7識のマナ識をたて、

            その奥にアーラヤ識という究極の識を設想する。
  
      
            識とは、滝の水のように絶えることなく流れてるが、一瞬一瞬の水は

            同じものではない・・・・


            道路を走る自動車も、人の流れも、電車に乗ってる人々も、

            滝の水のように流れてるが、

            次の人、次の自動車に変わるので、

            その流れは同じに見えても同じものではない。


            ・・・同じに見えるもの、見えてたものが、実は同じものではなかったということに、

            どんな意味が隠されてるんだろう?


            ”覆水盆に帰らず” のような超高速の未知なる物質の流れが、

            この空間を作ってる。


            生物の命を維持してる”動的平衡”のような流れ現象なんだろう、

            未来からやってきた見えない超高速の物質の流れが地球を作ってる?

            と空想してみた。

    
            追記

            私の旅行とリンクしてるかのように、金星探査機 ”あかつき”が、

            帰りの飛行機のテレビニュースで放送されてた。

            そのまま読むと紅月と読めるが、夜明け前の金星という意味だろう。

            金星と地球の見えない関係の秘密がある。