語りかける全身全霊のダンス

 悲しみ 怒り 喜び 祈り 呼吸
 命がきらめく再生の物語





これは、前回観た「 CLOSE 」同様、直感的に  “ 観たい ”  と感じた作品。

苦手な暴力シーンがある..
こわいな、どうしようかな..
と思ったけどね?

私が見たいのはそこじゃない!
と思い直して、29(金) に鑑賞。


そう、見たい(感じたい) のはそこじゃない。
私は彼女の 再起奮闘 、そこが見たいんだ!!! と、強く思った。

そんなたかだか数分の苦手なワンシーンのために見ないなんて、アホらしゅうて アホらしゅうて。

ちなみにその、暴力を受ける場面は予告にも映ってます(一瞬デス) 。

この暴力事件により、主人公のこれまでの人生が一変したかのように見える..

がしかし。


思うのですが。

 “ 体の傷は消えるけれど、心の傷は消えない ” と、よく言われるこれ。

私ね、逆というかちょっと違うかな..  と思ってます。


心はね、どんなに傷ついたって。
方法さえ間違えなければ、ちゃんと癒せます。
 これに関しては別記事を設けて話したいと
 考えています。


でも、体って記憶するんですよ..
細胞一つ一つで、ちゃんと記憶する。

確かに、傷痕は薄くなる場合もある。
ですが、記憶して保存されます。
恐らく、上書きではなくフォルダ別。

 それを巧く表現わしたのが、
 「 竜とそばかすの姫 」の、竜 だと思う。


だから、体に受けるダメージは相当なもの。
心よりも時間を要すると私は思っています。

体がそのときのこと、憶えてるから。
それは確実に心まで蝕んでゆく程に。


幸い..  私は 体は傷つけられなかった。
心は ズタズタ に傷ついたけれども。
約40年近くもの間 抱えてきた心の傷を、今現在ちゃんと癒すことができています。


けれどもし、もしもあの時。
体も傷つけられていたなら、、、私は今、この世に存在していません。

恐すぎて、生きていこうなんて思えない。

でも、私は 体は傷つけられていない。
だからこうして生きて、自分を救い、心を癒すことが出来ているのです。

それぐらい、体を傷つけられるというのは、ダメージをくらうのです..

そう、だからね。 彼女のように。
体と心の両方を傷つけられても、がんばって踏ん張って生きている人って。

ほんとにすごいな..  と、心から思うのです。


決して物語の中だけじゃないです。
こういう現実って存在します。
悲しいかな..  事実は小説より奇なり。



奇妙なことに。
癒す以前の私なら、所謂、残虐性のある物語でも観ていられました。

感情がどっかいってたからね、それはそれで観ていられたんです、物語の上っ面を。

でも、自分を癒し、感情を取り戻してからは。
それまで観ることが出来ていたものが、一切、観られなくなってしまった。

心がザワついて、観ていられない。
物語どころじゃなくなってしまった。

例えば。 物語を見るとき。
自分がどの場面に、どういった台詞に ザワザワ するのか。

そういった視点から見ることもあります。
私たちは、自分の中に無いものには反応しないからね。

 そ~~、在るから反応しちゃうのよね~ ^^ 💦


そのザワつき(未消化の感情) と対峙しながら、傷を癒してゆく。
 どうしても癒せないなぁ~ って場合は、
 癒しどき を 待ちます ^^


そうやってだいぶ手放した今..
手放したというか、未消化の感情を感じ切った、というほうがしっくりくるかな。

そう、今、また変化を迎えていてね。
少しずつではあるけれど、見ることが出来る物語が増えてきました ニコニコ わーい


そう! 「 CLOSE 」を見ることが出来たのも、その時の傷をちゃんと癒したからです ^^

勿論、以前とは物語を見る視点がまったく違います。
より、深い視点から見てる..  たぶん キョロキョロ



そんなお話を踏まえた上で、
あらすじ いっきま~す ^^


 𓂃𓈒𓏸𑁍 𓂃𓈒𓏸𑁍

北アフリカのイスラム国家、アルジェリア。
内戦の傷が癒えきらぬ不安定な社会の中で生きる、バレエダンサーになることを夢見る フーリア。

貧しいながらも、母やバレエ仲間と共に ささやかな生活 を送っていた。

しかしある夜。
賭博の逆恨みから男に襲われて大怪我を負ってしまう。

踊ることはおろか、声を出すこともできなくなった フーリア。

元の健康な身体と、持ち前の明るさを 失い、死んだも同然の抜け殻となってしまった..

そんな失意の中、リハビリ施設で出会ったのは、それぞれに心の傷を抱えた ろう者 の女性たちだった。

「 あなたダンサーなのね。わたしたちにダンスを教えて 」

その一言から始まったダンス教室。

踊ること..  1度あきめたダンスは、形を変えて再び、フーリア の心と体に明かりを灯す。

踊ることを通じて フーリア は、少しずつ 少しずつ  “ 生きる ”  情熱を取り戻してゆく ──


 𓂃𓈒𓏸𑁍 𓂃𓈒𓏸𑁍 𓂃𓈒𓏸𑁍 𓂃𓈒𓏸𑁍


 予告編




苦手とする暴力シーンに関しては、思っていたのとちょっと違って 💦

犯罪の臭いがするところに、自ら近づいたらあかんっ ( ๑ ˃ ⌑︎ ˂)ノ ピリピリ

けれど、そうした選択しか出来ない状況や事情を抱えることもあるんだよね..


ただ、なぜ犯罪者を野放しにするのか..  
警察の仕事のお粗末さよ (ꐦ ‾᷄꒫‾᷅ )オィコラ

 私の世界はこういった、
 お粗末な仕事をする警察官を
 創造くらないことにしよう。



しかしながらいつも思うこと。

 女性は 強い

さすが マザーアース だよ。


あのさ?
この世の中には、弱いものいじめ という行為があるように。
弱い者が強い者に虐げられているように思(見) えるでしょ?

私これ、いつも 違うよな..  って感じててね。 そう、私の眼には。

弱い者が、強い者を酷遇しているように視える..   のです。


強い弱いというのは、まぁ、社会的立場になるのかなあ.. ....かなあ??

私の場合は、「 心 」のことです。
心が強い者。心が弱い者。

心が弱いというとこれまた語弊があるなあ。
己の心の弱さを認められない者、か。


一見、強い(強く見えている) 者は、実は自分の心の弱さを受け入れられてない。
それを悟られないよう必死に  “ 強がっている ”  ように視える。

そして。

一見、弱い(弱く見えている) 者は、心が強い..  というか、己の心の弱さを受け入れている。

う~ん..  ややこしや.. 💦

だって弱いのがダメなわけじゃないし、悪いわけでもないからさ。


心が弱い強がり者にとって、
心が強い弱者は、驚異。

マウント
威圧的行動..   etc


真実の強さは、やさしい。
そして、謙虚。

偉ぶらん。

だいたいにして、真実の強さを持ってる人は、攻撃なんてしません。



劇中のダンスシーンはとにかく美しい。

 光のこぼれ方も 透かし方も
 風のカタチも 揺れるサマも
 少しだけ遅れて体に寄り添う衣装も

 力強い意思の入った眼差しも
 自然を表現わす手や指の動きも
 体に響かせる内なる魂の存在も

美しかった.. ほんと..
女性はこの地球の 産物 かと思わせるほど。



 Houria( フーリア ) = 自由

 アラビア語で「 自由 」とか「 天使 」
 という意味を持つ。



苦しそうに踊っているように見えた、バレエダンスから。
内面の涌き出る自由を表現わすコンテンポラリーダンスへ。

フーリア の魅力もまた、増し増し♡

で♡ 私、フーリア の髪型がすごく好き。
あのヘアスタイルは、ある程度首に長さがないと似合わない。

ボブって憧れるぅ~~( ฅ¯ ꇴ ¯ฅ )イエローハーツイエローハート




でね?
これ、フランス映画の特徴なのかよく分からないんだけどね。
どこかこう、有耶無耶なところがあるんだよね。

あまり、伏線回収をしないというか。
ご想像にお任せします、的な..

ん? で、あれどうなった ???
みたいなね (笑)


声も、心的外傷後ストレス障害で出ないのか。
声帯をやられて出ないのか。。。


まぁでもこれは、彼女 フーリア の再起の物語。
力強くまた踊ること、そこがメインだから。


私が1番、おぉ.. と感じたところ。
それは、踊っているときの呼吸!

静けさの中に響く呼吸。
この呼吸音..  よかったです (ㅅ˘˘)♡*



私、ものすごく 呼吸 に興味があるんですよね。

歌、ボイトレを習い始めたのも。
常に呼吸を意識するからかも知れない。

生きることに深い関わりがある、呼吸。
呼吸をする意味を、もうずっと探してる。


私にとっては歌うことと、呼吸をすることは一緒で。
まだどちらも儘ならないけれど。


 呼吸の謎.. 深し。


この物語からは、

  “ 自分の奥に在る眠っているもの ”

それを再び、呼び起こされたような気がします..


またなにか新しいことに挑むかも..


てことでぇ またね (* ̄▽ ̄)ノ~~♪



 ·⋆*☂ Break time 𓈒·𓏸 ⋆*・ ☂ ☂·°৹.·⋆*

 いちじくと胡桃の パンケーキ ホットケーキ
 ふわふわ泡もこの カフェラテ コーヒー







 映画の前に大事な用を済ませてから
 久々の ココ でした (∩ˊ꒳​ˋ∩)・*


さて、では今から SAKURA さんと戯れてキマス ラブイエローハーツイエローハート

ヘッドマッサージ.. (*´﹃`*)うへへ♡