四月馬鹿と年中馬鹿?の[醜いネットストーカー]の哀れな末路とは?(笑) | 祝!『週刊女性』インタビュー掲載。自称・少女マンガ史と映画史研究家です。

祝!『週刊女性』インタビュー掲載。自称・少女マンガ史と映画史研究家です。

【まぼろし探偵】、【月光仮面】(原作・川内康範)、【8マン】(原作・平井和正)で知られる漫画界の大巨匠桑田次郎作品のオフィシャルサイト開設に向けた準備室になります。
昭和の時代の漫画やアニメ、特撮の情報なども公開していく予定です。

【少年画報大全】監修・桑田次郎作品版権管理窓口です。-201203312202000.jpg



今日は、四月馬鹿エイプリールフールですね!(笑)


このブログをみて下さい☆四月馬鹿ならぬ年中馬鹿というべき[醜いネットストーカー]が、嘘をつき続けています。(根拠のない誹謗中傷、嫌がらせを繰り返したため、4月4日にまたしても強制退会させられたようです!(笑)全ては因果応報であり、自業自得。学習能力の無さは偏差値40ならではの特権!相変わらずお間抜けで哀れな末路だね!)


【GREEN REQUIEM ~緑の鎮魂歌~

http://ameblo.jp/tornado-rhapsody/】


ブログやアバターそしてゲームで遊ぼう♪

http://m.ameba.jp/


現在、私、映画と漫画史研究家の本間正幸のブログは、アメブロ始め、goo、ヤプログ、Yahoo!、livedoor、楽天、はてなダイアリーにて更新をしております。

2009年10月末から、年中馬鹿と云うべきネットストーカーが、私のアメブロに粘着を繰り返しています。

眼に余る誹謗中傷については、昨日記事にしたように削除してもらうため通報を繰り返しています。

けれども、昨日はついに愛国者を気取り、軽々しくカミカゼについて、ほとんど引用のみの記事まで更新する始末。


在日の女性にネットストーカー行為を働き、そのことを様々な人達から糾弾され、ブログが炎上すると、それを誤魔化すために神風についてのブログ記事を引用して、愛国者を装おう。

日本人どころか(このネットストーカーは、何ひとつ日本人であることを証明する証拠を示したことがありません!)、本当に人間なのか!すら疑わしきこのネットストーカーは、語るにことかいて軽々しく神風を記事にするなんて・・・。

「人として」の良心の欠片もなく、みんなに迷惑かけている模様は、被災地である故郷、岩手県山田町に対する思いやりの無さを見ても判ること。

この一年以上にわたり、故郷・山田町に対する記事更新や、日本の復興に対する思いやりのある発言が全くないネットストーカーの、記事やコメント欄のやりとりなど御覧いただいて、日本人として許せるかどうか判断して下さい。


世の中には、本当にどうしようもない偽善者や犯罪者がいるというあまりにも見事な実例です。


この男、いくつかの偽名を使ってブログを更新していますが、その正体は、鈴木秀幸。

唯一、本名で更新していたブログも、今は削除され、残っているのは、プロフィールのみ。


Yahoo!ブログ


【お疲れ秀幸ちゃん生き恥じ晒しな日記】


の自己紹介は、以下の通り。


〔名前〕サンメリーダのとりっぴー


〔性別〕男性


〔血液型〕O型


〔年齢〕39歳


〔誕生日〕2月13日


〔自己紹介〕


岩手県立山田高校(偏差値40)卒業。


調理師。


地元では、俺のことを


「お疲れ秀幸ちゃんは鈴木一族の誉れ」


とみんなが呼ばわっています。


新潟空港近くのアパートに住んで、古町エリアや2チャンネル、アメブロにも出没しています。


〔好きなもの〕


2チャンネル、アメブロ、焼き鳥、ブスねえちゃん


さて、私・本間正幸のブログの今日の画像は、『週刊少年ジャンプ』誌上に本宮ひろ志先生が


「神風特別攻撃隊」


をマンガ化し連載した名作【ゼロの白鷹】と、毎日新聞社から別冊1億人の昭和史シリーズ・日本の戦史別巻4として発売された【特別攻撃隊】(1979年・定価1500円)です。

私は、少年時代にリアルタイムで【ゼロの白鷹】を愛読し、小学六年生の時に発売された【特別攻撃隊】を一月600円の小遣いの頃に、お年玉を使って購入しました。


本宮ひろ志先生が、「カミカゼ」をマンガ化するにあたり、どのような心構えで作品を執筆したのか?


巻頭の言葉に深い意味が込められているので引用します。


「戦争をまったく知らないのに、戦記ものをかく資料を集め、そのうえで湧いてくる想像力や、勘にたよってかくしかないのだ。

しかし、戦記ものをかくと、かならず戦争賛美だという投書が何通かくる。

だれが考えたって、戦争などというものは悪いに決まっているのになあ?」


「中学時代もそうであったが・・・・・・、十五歳から一年半、航空自衛隊の生徒として生活した。

その間、同期生の中ではぼくが一番、先輩や上官に殴られたのではないかと思う。

とにかく、団体生活をいとなむのが下手で、下手で、いつもはみ出してばかりいたのだ。」


「僕の少年時代の先生は、予科練出身の方で、よく雨の日などいろいろ当時の話をしてくださった。

「自分にとっては予科練に入った昭和十五年から終戦までの五年間・・・・・・ これが最高に生きている実感を味わい、充実した俺自身の人生の中核だ」とおっしゃっていた。」


「この作品は、特攻に出撃する五人の若者のオムニバスであり、十週連載、単行本にすると一冊ほどの予定の作品だった。

しかし、資料を集めているうちに、だいぶ予定をオーバーしてしまい、後半急いだために、もう一つ書き足りなかったのを残念に思っている。」


(1976~1977年・集英社より初の単行本化)



【特別攻撃隊】


には、293頁にわたり関係者によるたくさんの当時の写真や、手記が掲載されています。

そして巻末には、「陸海軍航空特攻隊出撃年表」として、昭和19年10月21日~20年8月15日までの日付別、特攻隊名、特攻機種機数、発進基地、指揮官が12頁にわたり記されています。


日本の漫画史において、実際に日本軍の航空隊関係者で戦記物のマンガを描いたのは、私の知る限りでは、【わんわん航空隊】の、わちさんぺい先生と【ストップにいちゃん】や【ジャジャ馬くん】で知られる関谷ひさし先生くらい。予科練で実際に特攻隊に択ばれた馬場のぼる先生には、戦記物はないはず。

私は、関谷ひさし先生に生前、予科練時代の話を直接聴いたことがあります。


関谷先生が予科練生になったのは、戦争末期だったため、無事出撃することなく終戦を迎えることが出来たのです。(涙)

昭和30年代初頭に『冒険王』(秋田書店)に連載された【われは空の子】

にて、予科練の様子が漫画化されていますが、残念ながら単行本にはまとめられていません。

松本零士先生が、「戦場まんがシリーズ」や、「コックピット」を描いた背景には、戦時中・日本軍のパイロットとして戦っていた父親の存在が大きかったと云えるでしょう。


我らが梶原一騎先生のマンガ原作には、つのだじろう先生の作画で極真空手の創始者である大山倍達総裁を描いた名作【空手バカ一代】において、大山総裁を特攻隊に志願したと脚色して戦後の闇市に登場させている冒頭の下りがあまりにも有名です。

けれども、私としては、名作【愛と誠】の原型として知る人ぞ知る『週刊少年チャンピオン』連載の【朝日の恋人】を作画した、かざま鋭二先生と一緒に組んで『週刊少年マガジン』に連載した【火野家の兄弟 青春山脈】の方がとても好きな作品になります。

梶原一騎先生の特攻兵に対する当時の純粋な思いが、少年のセリフと解説の中、双方に記されています。(涙)


私の父の兄達は三人戦地に赴き、十代で志願した三番目の兄が、シベリアに抑留され二十代前半で亡くなっています。(涙)


私は、日本人として、軽々しく戦争を語る奴は、まるで信用が出来ないし、ましてや、戦後生まれで直接の戦争体験のない私達の世代で特攻隊について軽々しく語るなんてことは、「人として」どうしても許せません!


そもそも、私が大学で社会学部社会学科を目指して受験勉強したのも、戦前・戦後で一変する日本人の価値観や第二次世界大戦の真実に興味があり、勉強するためでもありました。


映画と漫画史研究家として、戦前・戦後の少年雑誌の変遷や、【正ちゃんの冒険】から始まる漫画史や無声映画時代からの映画史、街頭紙芝居や印刷紙芝居を研究することにより、どのようにして当時の少年少女や一般大衆のプロパガンダとして、情報操作に利用されていたのか?

裏テーマとして、今も追い続けています。

【フイチンさん】で知られる上田トシコ先生は、戦前は満洲におり、満鉄に在籍していましたが、戦後日本に引き揚げて来るとGHQのC.I.Eに勤務します。

同じく上田トシコ先生のお姉さんは、マッカーサーの副官の秘書として、GHQで働いてました。

当時の話を、私は、生前の上田トシコ先生から直接聴いております。

GHQの命令により、日本一の大地主と云われた酒田の本間家を始め、鶴岡にある私の父の実家など庄内の本間一族、十数家で所有する三千町歩の土地を、農地改革の名目で取り上げ、小作人に解放し、地主であった本家、分家共に一律各家5ヘクタールまでの所有とし、農地解放のモデルケースとした事実は、マッカーサーの報道官として日本に滞在したシカゴサンの特派員であるマーク・ゲインの著書【ニッポン日記】の中で紹介され、ベストセラーとなります。

【ニッポン日記】は、ヨーロッパを始め世界中で翻訳されたのですが、日本人でも教養のない人達の間では、農地改革が庄内の本間一族をモデルケースにしたという事実は、現在でもあまり知られていないようです。

私が、耳や眼の不自由な子供達にも、バリアフリーで日本のアニメーションを楽しんで貰えるようにという主旨の下、製作に協力した社団法人の協会の創立者である前理事長は、満映の出身で、最後は沖縄の離島で終戦を迎えたため、満映関係者の中でも数少ない生き残りのひとりであり、正に九死に一生を得た方でした。

戦後、学校を中心に子供達のために、教育映画の巡回上映活動を生涯続けた方です。

前理事長の遺品など数々の資料の整理を、暇を見付けては現在も行っていますが、日本の映画史にとっても貴重な資料であるため、大学教授など、映画史の研究者からの問合せがありますが、まだ一般には公開出来る状態ではありません。

私が、監修した少年雑誌


『冒険活劇文庫』と『少年画報』


の歴史にも、戦後の様々な状況が反映されており、研究テーマとしては、生涯追い続ける予定です。


世の中には、嘘のような本当の話と、本当のような嘘の話があります。


現在は新聞・雑誌・テレビやラジオだけでなく、ネットからも日々いろんな情報が発信される情報化社会となり、皆さんが、眼にしたり耳にする情報も、現代人として、何が真実であり、何が嘘なのか、取捨選択し正しい情報であることを見極める必要があります。


四月馬鹿は良いですが、年中嘘ばかりの情報を流して、人を欺いたり人の心を傷つけ持て遊んで喜んでいるネットストーカーの存在は、日本人としてはもちろん、「人として」許せるものではありません。


私が、本人画像の更新が出来ず、匿名なのに他人に対して誹謗中傷、嫌がらせをしたり、日々政治や宗教など独自調査による裏付けのない偏見による人種差別など批判ばかりで自らは何も行動出来ない卑怯で偽善的なブログを嫌う最大の理由は、無責任な情報の引用が多かったり、人を傷つける嘘の情報が多いということにあります。


私がブログを更新する最大の理由が、昭和の時代の少年少女マンガや、アニメ、特撮、映画、音楽の情報発信を目的にしているのに対し、ネットストーカーのブログのテーマは、本人独自の調査による裏付けの無い偏見による政治や宗教、国籍による人種差別などの誹謗中傷、嫌がらせという、あまりにもクダラナイことばかり。

何故、皆さんと楽しく交流しようと出来ないのか!

私は、「人として」心も容姿も醜いため、本人画像の更新が出来ない匿名の偽善者であるオジサン、オバサンとの交流は、全て時間の無駄だと考えています。

本人画像の更新が出来、身元がしっかりしている若くて綺麗なお姉ちゃん達や、夢に向かって頑張っている若いクリエイターの人達や、夢を叶え、実績を残した数少ない人との交流は、とても楽しいものです。

私のアメンバー申請や、読者登録を承認していただけている容姿端麗、美男美女の皆さんは、これからも楽しい交流をよろしくね!(笑)


映画と漫画史研究家・社会学士


本間正幸