この間の学祭で、俺は3年間所属してきた「CHERISH」を引退した。
思えばこの三年間、どれほどの時間を「CHERISH」にかけてきたのだろう。
高校まで個人競技しかやったことのなかった自分にとって、このサークルは俺にダンスだけじゃなく、もっと大切なことを教えてくれた。
月並みな言葉になってしまいますが、それは、仲間の大切さ。
自分に「CHERISH」の楽しさを教えてくれた先輩
苦楽を共にした同期
慕ってくれた後輩
こういった素晴らしい仲間がいたからこそ、自分は大学生活を本当に実りのあるものにできたし、かけがえのない思い出を皆と分かち合えた。
そんな「CHERISH」に心から感謝している。
きっとこれほど自分にとっての「CHERISH」を振り返ることもないと思うので、この三年間を回顧してみようと思う。
【2005年 春】
一橋大学入学。期待に胸膨らます中で「CHRISH」の新歓を見る。印象的なのは花さんのラビット。その時の光景は今も鮮明に覚えている。
淳さんが優しく迎えてくれ、入部を決意。ジャンルはLOCK。ジャニーズに憧れていた…。まもなく小平祭を迎える。
まおちやまりこ、ひとみとうちで遊んだりしたなぁ。チーム名は「ミルキーガウス」。たかのりもロックしてたw
小平祭、自分の中では100点だった!自分に酔った。「俺ってかっこいい。」(※一年生のみんなはコダ祭のタカ○ロイメージしてね。あんな感じw)
翌日、彼女に振られる。
【2005年 夏】
夏合宿。未だに他ジャンルの人とは話せない。えりの髪が金髪だった。
スクービードゥを女の子にやらせすぎて、三人位泣かす。昔は俺怖かった。
夏イベ(@CORE)。この頃、井上なおこはまだお客さんだった。
14代、もっと仲良くならなきゃと焦り、「温野菜」飲みを企画。初めて他ジャンルの人と話す。みんなすっげおもしろいし、もっと前から仲良くなっときゃよかったと後悔。
【2005年 秋】
伊藤ゆり・井上なおこがLOCKに入る。
伝説の「ミルキーガウス」結成。学祭一ヶ月前からの週一回深夜練。今14代LOCKが二人しかいない原因の一端はこれかもしれない。
そして学祭。完成度は過去最高。初夜祭も経験。
高揚感に浸る中でたかのりからの一言
「俺HOUSEやるわ。」
しまった………。
そして12代の先輩引退。みんな泣いていた。「CHERISH」はみんなに愛されてるんだと実感。
【2005年 冬】
初めて淳さんと踊らせてもらう。あの頃から淳さんはうまかった。結局追い抜けなかったなぁ。
あきおさん・淳さん・せこさんとスクールに行きだす。
終わった後の「はなまるうどん」では先輩のサークル観としばしば衝突。
でも、あの時あきおさん・せこさんが言ってたこと、部長になってからその重要性に気づいた。
【2006年 春】
二年生。新歓。
いわゆる「出合って五秒やね」事件を経験しつつ15代を迎える。
毎週のように飲んでたなぁ。ようこの誕生会楽しかったなぁ。
この頃の俺は、テニサーのようなサークル像を描いていたのだと思う。
ダンスはそんなに楽しくなかった。
そして15代に憧れていた時期もあった。
この頃の俺はサークルとの関係が曖昧で、周りが見えてないときもよくあった。
そんな中での小平祭。
淳さんと二人で組めた。ダンスが好きとかLOCKが好きとかじゃなくて、淳さんと組めたのがうれしかった。
そして、瀬古さんが冗談交じりに言った
「おまえはミドルスクールみたいな方があっとるかもしれんよ」
「俺はLOCKERすよ」
懐かしい。
【2006年 夏】
夏イベ。先輩たち三人の中に混ぜてもらい、夏イベでトリを踊らせてもらう。
毎日のように見た先輩たちのダンス。刺激が強すぎて、自己嫌悪になった。
イベントが終わって、力が抜けるのと共にLOCKに対する熱さが失われるのに気づく。
でも、本当にいい思い出だった。あきおさん・瀬古さん・淳さんの中に俺がいさせてもらえたんだから。
【2006年 秋】
ダンス人生・そして「CHERISH」ライフ最大のターニングポイント。
夜の生協で踊るコウジを見て気づく。
「ダンスはもっと自由で楽しいもんだ」
と。
トエルを必ず巻く必要もなければ、LOCKダンスだけに固執する必要もないと。
俺の好きなダンスってなんだ??
音はビートが強くって、ノリはランニングマンな感じかなぁ………
あやえからのメール
「ヒップホップやってみない?」
「やりたい!」
ユウキミドル誕生。
あやえと組むんだから基礎習わなきゃ…
そう思って行ったのが今のスクール
RealPromotionのKAZUYAさんとの出会い。
90分のレッスンを終えて、世の中にこんな楽しいダンスをこんなにわかりやすく教えてくれる人がいるんだと、感動のあまり茫然自失。
ここで決意する。俺はKAZUYAさんの下でMIDDLE SCHOOLをやり続けるんだと。
そして俺のMIDDLEデビュー。「びぎなーず☆らっく」
本当に楽しかった。
しかし秋は別れの季節。13代が引退していった。
13代は人数こそ少ないけれど、本当に深く関わった人たちばかりで、本当に切なかった。
そんな中で、運営が自分たちの代になった。
部長として一年間「CHERISH」に身を捧げようと決意。
第14代の部長になる。
【2006年 冬】
優とよく練習してたなぁ。俺みたいな下手っぴをちゃんと先輩として立ててくれて、下ネタもできて…うんw。
一代目「ORIKI」結成。あやえ・えり・ゆうこさん・ゆう・かなこ・そうた・ユウキ、すごいメンバーだ。
えりさんがランニングマンやってんだよ。みんな必見♪w
「ORIKI」…本当にこの一年間はこのチームとともにあった。気づけば次で8代目。いろんな出会いがあって、そしてこのチームで色々な人と踊った。
多摩ナイ・冬イベと消化していく中で、同時に自分はどういう部長になるべきなのかを悩んでいた。
【2007年 春】
16代が入ってくる。新歓は大成功!新たに50名のチェリクルーを迎え入れる。
ヒップホップにはなんと20人も入ってきてくれた。
4月は悩んだ。本当に悩んだ。
自分のあり方を。
そこで出した結論…
「部長としてはもちろん、ダンサーとしてもCHERISHをひっぱりたい。」
こんなに多くの後輩が入ってくれたのだから、まずは部長として来やすい環境、踊りやすい環境をしっかりと作ってかなきゃいけないと思った。
そして、それだけでなく、ユウキさんみたいになりたいって思われるだけのダンサーになりたかった。それはただ踊る姿を見せるだけではなくって、しっかりと後輩に自分のもっているものを伝えていくという形で。
四月にこう決意したことが、結果として、コンテスト出場の動機付けや、HipHop PARTY の企画へとつながっていったのだと思う。
小平祭が無事に終わる。あやえ・えりと慣れない仕切りを頑張った。
【2007年 夏】
学祭後、HipHop PARTY の練習会を開始する。
週に一回みんなでミドルの基礎をやった。多くの後輩が一緒に練習してくれて楽しかった。二号館で張り上げた声の分だけ、自分も成長できた気がした。
夏合宿。夏イベ。
自分のチームはもちろんだけど、後輩「VOLBISH」のみんなの頑張りを見て、「こいつらと一緒に踊って引退したい」と強く感じた。
ミドルは基礎を作るのが難しいジャンルだと思うけど、合宿の中で休まずに練習する後輩の姿を見て、自分も本当にいい刺激を受けた。
もう次のイベントで引退だ……
【2007年 秋】
引退の時期が来てしまった。
当たり前に月・水・金を空けていたことも
当たり前に生協にいたことも
そしてなにより
当たり前にみんなといたことが
すべて
当たり前でなくなる。
それが引退。
最後のチーム
後輩と一緒に出たいと強く思った。
自分の伝えられるものは全て伝えて引退したいと。
ダンスはもちろんだけど、そうじゃない自分の思いも伝われば言いなと。
一年生のみんなは一緒に出ることを快諾してくれた。
二年生も ようこ そうた ゆう みんな揃った。
総勢15名の7代目ORIKIの完成。
練習は1からやった。
最初の二週間くらいは一年生とひたすらムーブをやった。
ブライアンターンは300回くらいまわたんやないかな。
一年生のみんなは本当に練習頑張ってくれた。
きっと知らないことばっかやったやろうけど、できるまで残ってくれたり、開いてる日に自主練したり、本番になってからも、ビデオチェックで修正点を確認したり。
こんな素晴らしい後輩と一緒に踊れたのは本当に本当に幸せだった。
ORIKIは7代目まできたけど、一番のORIKIだと思う。
本番の映像を最近見た。
もちろんヒップホップだから笑顔でずっと踊ってるわけじゃない。
でも、そんな中から垣間見える、自信に満ちた表情
ダンスを楽しんでる表情
自分が伝えたかったこと。少しでも感じとってくれたのかもしれない。
最終日最終公演が終わったあと、舞台裏で一年生みんなが泣いていた。
きっと自分のために泣いてくれたんだと思う。
CHERISHで、MIDDLEで、ORIKIで一年間頑張ってきて本当によかった。
そう心から思えた瞬間だった。
何か清々しい気持ちすら感じていた。
だから俺は泣かなかったし、笑っていられた。
2007年11月4日
引退。
また生協であいましょう