名馬列伝・伝説の飛翔。。。 | 別物ブログ!

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タイムフォーム・レーティング


タイムフォーム・レーティングは、競走馬の能力を数値化した指標である。もともとは在野の民間企業が作った指標にすぎなかったが、イギリス・アイルランドでは60年以上にわたって競走馬の能力指標として高い権威を持ち、いまでは世界各国の競馬場で公式に配布されるレーシングプログラムに掲載されており、競走馬の指標としてもっとも普及しているもののひとつである。このレーティングは、大別すると2つの目的に使用されている。1つは競馬の予想(レース前)、もう1つは競走馬の評価(レース後)である。



オールタイムランキング

下表は、タイムフォーム社のニール・オコナーによるもので、ヨーロッパ、オーストラレシア、ドバイ、香港、日本、スカンジナビアで走った競走馬のオールタイムランキングである。

平地部門

平地競走では、最低20台から、トップクラスの競走馬には130以上のポイントが与えられる。ごく最近(2000年頃)まで、アメリカを主戦地とする競走馬はタイムフォーム・レーティングの対象外だったため、アメリカからヨーロッパへ遠征してきた馬のレーティングは直接比較の対象とすることはできない。

平地部門では、1962年の凱旋門賞優勝馬のシーバードが半世紀にわたって首位を守ってきた。2010年から2012年にかけてフランケルが無傷の14連勝を記録すると、ヨーロッパではフランケルに対する評価に関する議論が巻き起こった。フランケルは、伝統的にヨーロッパの最高峰とされてきたイギリスダービー、凱旋門賞やキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに出なかったからである。フランケルが当時の最高クラスの競走馬であることには異論がなかったが、過去の名競走馬との比較で、世評は割れた。しかし、2012年のシーズンを終えたフランケルに対してタイムフォームが史上最高値を更新する147ポイントを与え、シーバードよりも2ポイントも高く評価したことが、フランケルに対する世評を決定づけた。



レーティング馬名(生年)

平地部門

147フランケル(2008)
145シーバード(1962)
144ブリガディアジェラード(1968)、テューダーミンストレル(1944)
142アバーナント(1946)、リボー(1952)、Windy City(1949)
141ミルリーフ(1968)
140ダンシングブレーヴ(1983)、ドバイミレニアム(1996)、ハービンジャー(2006)、シーザスターズ(2006)、シャーガー(1978)、ヴェイグリーノーブル(1965)
139ジェネラス(1988)、Pappa Fourway(1952)、Reference Point(1984)
138アレッジド(1974)、アリシドン(1945)、セルティックスウィング(1992)、シガー(1990)、デイラミ(1994)、Exbury(1959)、ニジンスキー(1967)、Star of India(1953)、Tulloch(1954)
137イージーゴア(1986)、サンデーサイレンス(1986)、Apalachee(1971)、、デイジュール(1987)、ゴーストザッパー(2000)、グランディ(1972)、キングストンタウン(1976)、マークオブエスティーム(1993)、Molvedo(1958)、モンジュー(1996)、Moorestyle(1977)、、ネヴァーセイダイ(1951)、パントレセレブル(1994)、ピンザ(1950)、プリンスリーギフト(1951)、Ragusa(1960)、ラインゴールド(1969)、Reliance(1962)、Right Boy(1954)、トロイ(1976)、ジルザル(1986)
136アルサイド(1955)、アレフランス(1970)、バリーモス(1954)、ベーリング(1983)、ブラックキャビア(2006)、Black Tarquin(1945)、バスティノ(1971)、Crepello(1954)、エルコンドルパサー(1995)、エルグランセニョール(1981)、フロリバンダ(1958)、ジェントルメン(1992)、Habibti(1980)、Hafiz(1952)、Hawk Wing(1999)、エリシオ(1993)、エルバジェ(1956)、マイバブー(1945)、Manikato(1975)、Northjet(1977)、オールドヴィック(1986)、Relko(1960)、スリップアンカー(1982)、スワーヴダンサー(1988)、サキー(1997)、タンティエーム(1947)、Texana(1955)、Thatch(1970)、ウォーニング(1985)
135オールアロング(1979)、アラジ(1989)、Arbar(1944)、Arctic Prince(1948)、Chanteur(1943)、Charlottesville(1957)、コロネーション(1946)、ダリア(1970)、インティカブ(1994)、ノウンファクト(1977)、クリス(1976)、La Tendresse(1959)、Le Moss(1975)、マッチ(1958)、ナシュワン(1986)、Never So Bold(1980)、Pebbles(1981)、ペティンゴ(1965)、Petoski(1982)、Right Royal(1958)、Royal Anthem(1995)、サガス(1980)、ササフラ(1967)、Shadeed(1982)、シャーラスタニ(1983)、シャリーフダンサー(1980)、シカンブル(1948)、サーアイヴァー(1965)、Souverain(1943)、セントジョヴァイト(1989)、シュプリームコート(1948)、Teenoso(1980)、テネラニ(1944)、The Bug(1943)、ザミンストレル(1974)、Trempolino(1984)、Youth(1973)


障害・チェイス部門

下表はチェイス競走(障害競走)走路で行われたナショナルハント競走のオールタイムランキングである。

レーティング馬名(生年)

212アークル(1957)
210Flyingbolt(1959)
192pSprinter Sacre(2006)
191ミルハウス(1957)、コートスター(2000)
187デザートオーキッド(1979)
186Dunkirk(1957)
184Burrough Hill Lad(1976)、en:Moscow Flyer(1994)、Long Run(2005)
183Master Oats(1986)、デンマン(2000)
182Captain Christy(1967)、Carvill's Hill(1982)、See More Business(1990)、ベストメイト(1995)、Azertyuiop(1997)、Kicking King(1998)、Well Chief(1999)



障害・ハードル部門

ハードル競走(障害競走)では、最低60から、最高ランクでは165以上のポイントが与えられる。下表はハードル競走(障害競走)走路で行われたナショナルハント競走のオールタイムランキングである。

レーティング馬名(生年)

182Night Nurse(1971)
180Monksfield(1972)、イスタブラク(1992)
179Persian War(1963)
178Comedy of Errors(1967)、Le Sauvignon(1994)
177Lanzarote(1968)、Limestone Lad(1992)
176Bula(1965)、Sir Ken(1948)[† 1]、Birds Nest(1970)、Golden Cygnet(1972)、Big Buck's(2003)、
175Salmon Spray(1958)、Sea Pigeon(1970)、Gaye Brief(1977)、Baracouda(1995)



レーティングは、世界の競馬の各馬の能力を数値化したもので一概にこれが全てではないですし問題点も多いですがある程度の指標にはなってたりしますねッ…



その中の平地部門で半世紀近くレーティング一位を保持していた馬がいますッ!




欧字表記Sea-Bird
品種サラブレッド
性別牡
毛色栗毛
生誕1962年3月8日
死没1973年3月15日 (11歳没)
父Dan Cupid
母Sicalade
母の父Sicambre
生国 フランス
生産M.Jean Ternynck
馬主M.Jean Ternynck
調教師Etienne Pollet(フランス)

競走成績
生涯成績8戦7勝
獲得賞金2,268,648フラン
+65,301ポンド



シーバード (Sea-Bird) は、フランスの競走馬、種牡馬である。おもな勝ち鞍は凱旋門賞とエプソムダービー。イギリスのタイムフォーム誌によるレイティングでは史上1位(当時)の145ポンドが与えられました。


生涯

誕生

シーバードは1962年3月8日に、フランスの実業家ジャン・テルニンクが経営するノートルダム・ド・リスル牧場で生まれた。父のダンキューピッドは競走馬時代に5勝を挙げたが大レースでの勝利はなかった。母のシカラードは未勝利馬で、シーバードを含め3頭の産駒を産んだあと、シーバードの活躍を待たずして1400ポンドで食用肉にされました。

競走馬時代

シーバードはテルニンクの従兄弟にあたる調教師エティエンヌ・ポレの厩舎に預託され、1964年9月2日にフランスのシャンティイ競馬場でデビューした。このレースを僅差で勝利すると、同月18日にはクリテリウムドメゾンラフットも接戦の末ブラブラ(翌年のディアヌ賞優勝馬)を下し優勝した。続いてポレはシーバードを10月のグラン・クリテリウムに出走させ、厩舎の期待馬グレイドーンと対戦させることにした。このレースでシーバードはスタートで後手を踏み、逃げたグレイドーンを捉えることができず2着に敗れた。シーバードは3戦2勝でこの年のシーズンを終え、フランスの2歳フリーハンデでグレイドーン(60キロ)に次ぐ第2位(58.5キロ)という評価を得ました。


陣営はシーバードの能力を高く評価し、イギリスに遠征させてダービーステークスに出走させるプランを立てた。翌1965年、4月のグレフュール賞に出走したシーバードはこのレースを勝利で飾り、翌5月にフランスにおける春の3歳戦線の主要レースのひとつであるリュパン賞に出走した。このレースでシーバードはプール・デッセ・デ・プーリッシュ優勝馬のカンブルモンやのちにアメリカへ遠征しワシントンDCインターナショナルを優勝するダイアトムらと対戦し、2着のダイアトムに6馬身の着差をつけて優勝した。この結果を受けて陣営はシーバードをダービーステークスに出走させると発表しました。


ダービーステークスではシーバードに人気が集中した。レースが速いペースで推移するなか6番手でタッテナムコーナーを回ったシーバードはゴールまで残り400メートルの地点で先頭に立ち、そのまま2着のメドウコートに2馬身半の着差をつけて優勝した。このときのレース振りをイギリスのある新聞は「ダービーを出走するような一流馬を、まるで乗馬クラブの去勢馬のようにあしらった」と表現しました。


その後シーバードはフランスへ帰国し、7月に古馬との初対決となるサンクルー大賞に優勝。避暑を行わずそのままシャンティイに滞在して凱旋門賞に備えた。この年の凱旋門賞の出走馬はシーバードを含め各国のダービー優勝馬4頭、アメリカから遠征したトムロルフなど高いレベルにあったといわれている。レースは残り400メートルの地点でシーバードとジョッケクルブ賞優勝馬のルリアンスが競り合う形となったが、そこからシーバードがルリアンスを外にヨレながら引き離し、6馬身の着差をつけて優勝した。シーバードはこの年のフランスの3歳フリーハンデでもっとも高い評価を獲得(71キロ)し、ヨーロッパ年度代表馬に選ばれました。


種牡馬時代

シーバードは凱旋門賞を最後に競走馬を引退し、種牡馬となった。はじめの7年間はアメリカ合衆国ケンタッキー州の牧場(ダービーダンファーム)へ150万ドルでレンタルされ、1972年末にフランスへ帰国。ノルマンディー近郊のプチ・テリエ牧場で繋養された。しかし翌1973年3月1日、シーバードはこの年の種付けシーズン開始直後に腸閉塞を起こし急死した。テルニンクはシーバードの遺体のうち頭部を剥製業者に売却し、残りを食用肉として売却した。ただし頭部は損傷がひどく、剥製業者によって焼却処分された。この話を耳にしたイギリスの競馬関係者や動物愛護団体は「フランス人の蛮行」を激しく非難しました。


シーバードがアメリカで輩出した産駒は136頭で、そのうち33頭(18.8パーセント)がステークスウィナーとなった。代表産駒にはフランス牝馬三冠や凱旋門賞を制したアレフランス、アメリカ二冠馬リトルカレントなどがいる。シーバードのサイアーラインは現在も継承されており、アークティックターンの産駒ベーリング(ジョッケクルブ賞、凱旋門賞ではダンシングブレーヴの2着)とその直仔であるペニカンプ(2000ギニー)、アメリカンポスト(プール・デッセ・デ・プーラン)らによって継承されています。



競馬は、血統のスポーツとも言われますが両親が其ほどの競争成績を挙げていなくてもいろいろな要素も絡んで爆発的な能力を持った子が誕生する場合もありますねッ!!これも、血のロマンであり醍醐味であったりもしますッ!!





















名前の如く、海鳥のように颯爽と羽ばたく一生だったのかも知れません…













第44回凱旋門賞-馬




著名な記録を持つ競走馬一覧-馬



様々な記録を持っている馬もたくさんいますのでいろいろ参照して見るのも面白いと思いますッ(^-^)v