6年前タイ古式マッサージ研修中に、講師である加害者から

男女で行うタントラヨガ(タイ古式マッサージ上級手法、一般のヨガ技法と加害者は主張)を密室で行われ、


PTSD.解離性障害、口蓋ミオクローヌスを発症し、性被害裁判を起こしました。


2年以上続いた性被害裁判は先日第一審が終結致しました。



未だもって、性被害によるPTSD.解離性障害による首から頭にかけ石のように固まった筋緊張、また現実感が失われ異次元に生きているような感覚、口蓋ミオクローヌスによる耳管の不随運動で頭の中を破裂音が鳴り響く症状がひどく、、就労も困難な状態です。



ただ、第一審終結で、日常も少しづつ落ち着いて参りましたので、性被害裁判を現在行っている方々、これから裁判を起こそうと考えられてる方々、そしてサポートされる方々へ、少しでも皆様のお役に立てていただけたらと思い、第一審裁判を通じての経験を少しづつ綴らせていただければと思っております。


***********************************************

私は、性被害から裁判を起こし、第一審が終結した今日まで、

様々な困難と理不尽な出来事、理解されない思いを何度も味わって参りました。




同じ女性から浴びせられた心をえぐられるようなセカンドレイプ発言、



裁判に提出せざるおえなかったいい加減な医者が書いた診断書、


精神科での問診から、時間が経過してカルテ記入された事実無根の医療カルテ、


裁判に提出された加害者を庇う女性ヨガ講師の信じられない証言、



弁護士を何度か変えなければならず精神的にも不安定になったこと、



以前契約していた女性弁護士に私の主張を理解していただけず辛い思いをしたこと等、



自分ではどうしようもないことが次々と起こりました。



ただ、今それを振り返ると、それは起こるべくして起きていように感じております。




その絶望的なことを契機に、




出会うべく人に出会い、




私が受けた性被害を伝えるべき人に伝え、




利己的な想いで裁判に提出されたいいかげんな証拠に対しては、正しい心の方がこちらの主張を裏付ける証拠を提出することにつながり、


6年前タイ古式マッサージ研修中に、講師である加害者から

男女で行うタントラヨガ(タイ古式マッサージ上級手法、一般のヨガ技法と加害者は主張)を密室で行われ、


PTSD.解離性障害、口蓋ミオクローヌスを発症し、性被害裁判を起こしました。


2年以上続いた性被害裁判は先日第一審が終結致しました。



未だもって、性被害によるPTSD.解離性障害による首から頭にかけ石のように固まった筋緊張、また現実感が失われ異次元に生きているような感覚、口蓋ミオクローヌスによる耳管の不随運動で頭の中を破裂音が鳴り響く症状がひどく、、就労も困難な状態です。



ただ、第一審終結で、日常も少しづつ落ち着いて参りましたので、性被害裁判を現在行っている方々、これから裁判を起こそうと考えられてる方々、そしてサポートされる方々へ、少しでも皆様のお役に立てていただけたらと思い、第一審裁判を通じての経験を少しづつ綴らせていただければと思っております。


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は、性被害から裁判を起こし、第一審が終結した今日まで、

様々な困難と理不尽な出来事、理解されない思いを何度も味わって参りました。




同じ女性から浴びせられた心をえぐられるようなセカンドレイプ発言、



裁判に提出せざるおえなかったいい加減な医者が書いた診断書、


精神科での問診から、時間が経過してカルテ記入された事実無根の医療カルテ、


裁判に提出された加害者を庇う女性ヨガ講師の信じられない証言、



弁護士を何度か変えなければならず精神的にも不安定になったこと、



以前契約していた女性弁護士に私の主張を理解していただけず辛い思いをしたこと等、



自分ではどうしようもないことが次々と起こりました。



ただ、今それを振り返ると、それは起こるべくして起きていように感じております。




その絶望的なことを契機に、




出会うべく人に出会い、




私が受けた性被害を伝えるべき人に伝え、




利己的な想いで裁判に提出されたいいかげんな証拠に対しては、正しい心の方がこちらの主張を裏付ける証拠を提出することにつながり、




離れるべき人とは離れ、




加害者が提出した証言さえ、私の主張を裏付けるものとなりました。




自分自身にとって絶望的なことや理不尽なこと等、一見悪い出来事が起きてしまったように思い、

大変思い悩みましたが、

その全てが「大きな善」へと

続く道へと繋がっておりました。



ただその時、裁判を正しい道に運ぶために必要なことは、

自分自身の「正しい心」から生まれる

「正しい行動」のように思います。



裁判から今現在を振り返り思うことは、

「心」が同じ人ではないと繋がることができないということです。


「心の有り様」で繋がる人が決まっていったように思います。

知り合って長い年月が経った友人だと思ってた方でも「利己的な心」をもっている方だと、私が性被害を受けPTSDになってからはセカンドレイプ発言を繰り返し、裁判で証人になってもらうよう頼んだ時も、色々な理由をつけ裁判では絶対勝てない、やる意味がないということを言い裁判を止めるよう私に言ってきました。


しかし、1、2回程度しか面識のない方でも、「性被害者をこれ以上だしてはいけない」、「性被害でおきたあなたの症状が少しでもよくなるなら」と「人を想う心」をもつ方は、性被害を防ぐのに協力してくださり裁判での証人も心よく引き受けてくださいました。





その中には、加害者が正しい方向にいくようにと、加害者を想って私に協力してくださる方もいらっしゃいました。




ですので、被害を受けて以降、裁判前、裁判中、裁判後、苦しい時や理不尽な事が沢山あるかと思いますが、



自分自身の「心の有り様」で、かかわる方がかわって参りますので、



「正しい心」「人を想う心」で行動することが大切のように思いました。



苦しい事、理不尽な事が起きた時は、




その事象をよく見て、




自分自身が間違っていれば、素直に直し、




自分自身が間違ってなければ、それは自分の問題ではありませんので、思い悩むことなく、





かわらず




「正しい心」「人を想う心」で行動することが大切だと思いました。



そうすることで、その問題は必ず解決していきました。





また起きる事象にはいつもなんらかの意味がありました。




理不尽な出来事等が起きると、感情に囚われてしまっておりましたが、




心を落ち着けその事象をよく観ることで、




何故その事象が起きているのか、




また、





その事象が意味していることがわかってくるようになりました。




私は裁判の中で、私自身に起きる様々な物事や事象は、




私や周りの方々の行動だけで引き起こされているのではなく、




私自身も知り得ない多くの方々の心が織り成され、




それは「正しい心」も「利己的な心」も全てが含まれ、




それが物事の成立ちの根底にある大きな流れとなり、




引き起こされていくことを実感致しました。




この大きな流れは、人と人の繋がり、



「人を想う心」「正しい心」が結びついて、

そして「利己的な心」や「疚しい心」が織り交ぜられながらできる

「大きな善に向かわせる強力な力」のように、裁判を通じて感じました。

裁判では、まるで偶然に起こった幸運のような自分では意図しないことが多く起きましたが、

それは私の持つ「私のような性被害者を絶対ださない」という心と同じ、

「人を想う」心の方々が集まって引き起こされたものでした。

結局のところ、理不尽で絶望的な出来事は、

「正しい道」への転換期となり、

より大きな善への強力なエネルギーへと転換されてまいりました。

「物事は起こるべくして起き」、

「出逢うべき人には出逢うべき時に出逢います」

物事や事情に良い悪いはなく、

一見悪いことが起きたと思っても、

それは善に繋がる転換点であり、

大切なのはその事象を正しい道に運び「大きな善」に繋げるための、

「自分自身の心の正しさ」

「人を想う心」にあると裁判を通じて感じました。

私自身、性被害にあい、また裁判をするなかで、

「理解されない苦しみ」や理不尽で絶望的なことが数多くありましたが、

その全てが「二度と私のような被害者をださない」という私の願いに必要な「転換点」となり、

「善へ導く大きなエネルギー」に変換されました。

私は、困難や理不尽な一見悪い事が起きたと思う時は、以前読んだ本にありました

「難有りの時こそ、有難い」

と思うよう心がけておりました。

そうすることで、何故その事象が起きたのかということがふとわかり、解決策がみつかることがありました。
(ただ、怒りの感情はなかなかコントロールすることはできませんでしたが、、)

私と同じように苦しんでいる方へお伝えしたいのは、

今苦しまれている事象は自分の願いに必要な転換点であり、

善へ導くために必要な大きなエネルギーかもしれません。

悪い事象も感謝して受け入れ、

自分自身の正しい心に繋がることで、

それは正しい道、大きな善へと転換してまいります。


「陰極まりて陽に転ずる」


「全てに感謝」

私の経験がご参考になれば幸いです。


性被害にあいながら、裁判を起こされるという大変な道の上にいらっしゃる方々が、どうか心穏やかに日々を過ごされ、ご自分の願いを成就されることを願っております。


また少しづつ、私の経験を綴らせていただきます。