ここ最近は、性被害による症状が凄まじく呆然と1日を過ごす時もあるが、症状は有りながらも動ける日も多くでてきた。


心も少しづつだが、晴れているようだ。


ただ、大半の心の部分は加害者からのヨガやマッサージを悪用したタントラヨガ性被害により、6年たった今でも、鉛でずっしり重く固められた感覚だ。


性被害裁判が1ヶ月前終結し判決を待つばかりになったが、私の心はあることに囚われていた。





それは、加害者との裁判の中で、2度和解の機会が設けられた。




が、1度目、2度目、どちらも和解に応じなかったことであった。




和解文は、裁判長が双方の話しを聞き作成してくださったもので、私が加害者からうけた二件の猥褻行為が記載され、加害者からの謝罪の文言がはいったものであった。


だだ、私はそれまでの加害者の行動から、私が加害者にもとめる



「利他心」



「人を想う心」



を未だ加害者はもてておらず、加害者自身の為の利己的な行動を繰り返すことに、




また、裁判の中で、加害者は1度も罪を認めてないことから、和解文と加害者との心の中は一致せずかけはなれていると考え、和解文が加害者にとって何の意味もなさない和解を、選ぶことはなかった。




ただ、



裁判が終結し心に残ることは、加害者の心はどうであったということだ。




もしかしたら、



加害者自信が罪を認め楽になりたかったのではないか、、、





私に謝罪したかったのではないだろうか、、、





そして、被害者から何を言われようと、それを加害者が自らの逆境として、今一度、加害者のもとへ行かれる方の信頼を一から築き上げていく



(これは和解の時、裁判長に私が加害者に求めることとして伝えていたものであった。

これを伝えたのはある理由があり裁判長にもそれを伝えた。


そして、当初の和解案での口外についての条件は


「みだりに口外してはならない」




(「みだりに」とは「正当な理由なく」という意味で被害者が被害をはなすことはかなり責任を伴う。)


であったが、





「加害者の名誉を不当に侵害するような態様で口外しない」との




という内容に変わった。





口外についてなにも条件がつけられなくても、被害者は被害を受けたその瞬間から、被害を話すことについて最低限この責任はおっている、

つまり最低限というところの規制に変わっていた。)



という再出発を考えていたのではないだろうか、、、



加害者に直接聞く機会がなかったため、私が加害者の行動から加害者の心の中を推し測り




加害者に必要なのは和解ではなく、【判決】であろうと決断したが、加害者が和解文に記載された自らの行いに向き合う機会を私自身が奪ってしまったのではないだろうか、、、




そんな想いに





自問自答する日々が続いていた。







が、





あることで私の心の自問自答は一掃することになった。



数日前、いきなり刑事7~8人が私の自宅に押し掛け、加害者がこのブログの一部を刑事告訴しできたことを知らされた。



そして脳裏に浮かんだのは、




裁判官の言葉であった。







加害者との和解には、



「加害者の改心」



が条件だという私に、





「お灸はすえられてるとおもいますが、改心はしてないと思いますよ」





という内容であった。






そして、再度修正された和解案には、私の希望が全て含まれ、






加害者が私に行った行為が





【わいせつ行為と認められる不適切な行為】







として加害者が認めるのか、








そして口外しないという条件も



「みだりに口外してはならない」から、




「加害者の名誉を不当に侵害するような態様で口外しない」との




最低限の条件に書き替えられ、





加害者にそれを和解の条件として突きつけることになった。





それは、もしかしたら、裁判官は、この和解文で「加害者の改心の有無」を私自身に見極めなさいという、





そういう想いであったのかもしれない。




そして、加害者は期日までに和解をするかしないかの答えをもってこなかった。










納得した。







そして、




加害者が、




このブログの一部を加害者が刑事告訴してきたことを理由に、
性被害による症状に朝から悩まされる私の自宅に7、8人の刑事が自宅におしかけ上がり込んみ、性被害で6年も苦しみ、次の性被害者をださないためになんの国家権力ももたない私と家族に、一見気を使っているように見えるが私の為とは感じない本心を隠したように感じる言動は、まさに、この想いを性被害者に味合わせてはならないと、私の心に刻みつけた。



「陰が極まった」


そのことを認識せざるおえなかった。