裁判に提出するべき全てを、提出し終わり、するべきことがなくなった。

裁判を始めて二年近くが経つ。

が、全てをなくした辛い気持ちはかわらず、やはり午前中動けない、感情のコントロールがとりにくい。

ただ、ここまできて、学んだことは、今「成ってなくても」、「成る」ということだ。

振り替えれば、加害者、加害者家族、加害者側の証人に、憤りと怒りの日々で、理不尽に将来を失った自分に感情のコントロールがとれないめちゃくちゃな6年であった。

PTSD の症状から、感情のコントロールがとれず、被害から3年程は、家の扉は壊れ、毎朝、キッチンの床は、私が投げつけた食器が割れ、床中にちらかった。

加害者のせいで、それまで幸せだった家族はメチャクチャになり、破滅した。

それなのに、友人が知らせてくれる、加害者がヨガ講師として使うSNS は幸せそうな日常が写されていた。

証拠がなにもなく、加害者の言っていた、タイ古式マッサージにあるというタントリック(性被害行為)が何かもわからず、凄まじい症状に、家族とともに、毎日のように病院を巡っていた、

身体を治す為、県内外の病院やPTSD 症状を改善するためのボディワークも受け続けた。

20年以上してきた仕事もできなくなり(大きなストレスがあると脳神経がダメージをうけできていたことができなくなる)、収入がなく、在来線で一日かけて他県の病院や、ボディワークに通った日々だった。

そして、友人、姉妹の協力で、加害者のもとに行き、証拠の録音データーをとり、刑事告訴し、民事訴訟を起こした。

絶望と憎悪の日々で、この6年、なにもなく眠れた日は一日もなかった。

ただ、今、ここからそれまでを見ると、当時は気付かなかった、そこかしこに「癒し」と、「楽しさ」、「素晴らしい方々との出逢い」がちりばめられた日々だったことにも気付かされる。


元気に仕事をしていた時には、研修に行くのも当然、新幹線で忙しい中行っていたが、性被害から仕事ができず、自分の中に閉じ込められたような凄まじい症状を引きずりながらも、時間に制約もなく、在来線から何時間も茫然と眺めていた景色は、私の症状をゆっくりと癒す為に用意されていた、その為の時間だったようにも感じる。


その景色は、今でも思い出すと、幸せな気持ちになる、、、私に与えられたプレゼントのような時間だったのだろう。


ただ当時は、自分だけ人生のレールから外されてしまった絶望と、加害者、加害者家族への憎悪の気持ちで、その私に与えられた時間にも気づくこともできなかった。


今振り返えれば、多くの支えてくださる方々のおかげでいただいた、奇跡の時間だったのだと思う。



そして、証拠がなく、不可能と弁護士に断られつづけた裁判を、ここまでたどりつかせてくれたのは、いったいなんであったのだろうかと思う、、


全てが、必然として織り成されたように感じる。


良いことは勿論だが、悪いこともだ、、。



「感謝」しかない、、。


証拠もなにもないその当時も、すでに「道」の上にいたのだろう。



予想外の苦しいことが続いた裁判だったが、闘いきった、すがすがしい思いが広がったことに気付く、、。



今、「失った」と思う気持ちも、被害当時の自分を振り替えれば、


失ってはないのかもしれない、、。


無いものではなく、


有るものに目を向け、


感謝することから始まる、、


そうだったのかもしれない、、。