内田樹先生の『街場の教育論』を読んでいます。







先日、私が事務局をしているとある団体に協力していただいている理事さんから「来年度は役を降りたい」と申し出がありました。



その理事さんは私より年下ですが、たくさんの施設の運営を任されていて、とても有能な方です。



他の理事さんたちは年齢が高かったり、お医者さんだったりして、話しにくいところがあるのですが、何かと相談に乗ってもらったりしてとても頼りにしていた人でした。

ですから、役を降りたいという申し出がとてもショックで、反射的に「どうしてですか?」という言葉が口をついて出てきました。



「なんか活動が停滞してるでしょ。でも、やることはいっぱいあると思うんですよ。ただ、お医者さんが多くて、言いたいことも言えないし。でも、この性格だから言わずにおれないから、かえって迷惑じゃないか」、そんな風に言われました。



いろいろ考えてくださった上での結論のようでした。



もうひとつ彼には、自分が切り盛りしないといけない活動があって、そちらの方も忙しくなるし、ということを言われました。



それを聞いて、私は少しだけ心配になりました。







内田樹氏『街場の教育論』では、先生の専門であるフランス文学がなぜ衰退していったのか、というのを「外に向けてその良さを訴えることをしなかったからだ」と言っていました。



専門分野は、その世界だけで分かる言葉を操ることに悦になり、自分たちは世界に入れない部外者より、上にいることに優越感を感じている。



こういうことを続けていると、外の世界から離れすぎてしまって、部外者には理解できなくなり、関心を示されないようになって、新たな血が入らなくなった結果、その専門分野は衰退するんだと。だから、専門分野にいる人は部外者へ、その専門を学ぶ意義、素晴らしさが分かるように、訴えていかなければならないと言いました。



しかし、その作業は骨が折れる仕事です。分からない人に教えなければいけないわけですから。そんな時間を割くよりも、「ツーカーの仲」の間で優越感に浸りながら、やっていったほうがより強い満足感が味わえる。







「専門分野」を「気の合う仲間」に置き換えてみると、どうでしょう。



気のあう仲間だけでいれば、ストレスも少なく過ごせるでしょう。できれば、そういう環境の中に居続けたい。



でも、そこから成長とか、発展とかは望みにくい気がするんですね。







介護の世界でも、全国的にも有名な、感性豊かに素晴らしい実践をしていた人が、やがて自分の気に入った仲間だけを集めて、だんだんと訳の分からないことをやってしまっている例を知っています。



ワンマン社長がイエスマンだけを重用して没落していくのと同じですね。



「王様、裸ですよ」と言える人を、イヤでも自分のそばに置いておかないといけないのだと思いました。



(続く)


「記事、よかった!」という方、クリックを。

   ↓↓↓           ↓↓↓
正しいケアマネの歩き方  ~ケアマネタマゴが贈るケアマネ道!~-ブログランキング にほんブログ村 介護ブログ ケアマネージャーへ