時を超えて。ひょんなことから、私は幼稚園児の自分に出会う旅に出た。みんなと楽しく遊ぶのが苦手で、教室を抜け出したり、お外でもふらふらと一人でどこかに行ってしまう変わった子だった。

そんな自分は誰にも好かれていないのだと寂しく思う毎日は、実は大きな自然と温かい見守りの中にある尊いものであると今になって知った


変わらないもの。タイムワープの入り口は、あの日の境内にあった。なぜか懐かしく、癒される。神社参拝の意味はそこにあるのかもしれない。

10月30 日は創建の儀が夕刻よりあります。ぜひお参りください。時下をかんがみ、ご寄進くださった方のみご出席をお願い致しました。

宮司さんの言葉を思い出した。

日曜日の夕方…旦那さんがなんて言うかなあ。彼はこういったことにあまり関心がないのだ。なぜその時間にそこに行くかの「原理原則」にのっとった説明がないと許してくれないだろうなあ。

見えないものは信じない!という旦那さんに、トイレに閉じ込められたあたりからかいつまんで話してみた。

運転しながらだからか、全く肯く気配もない。一息で話し終えても、しばらく返事がなく不安になった。

やっぱり俺には理解できんよ。

ぼそりと言われてがっくりきてしまった。

やっぱりな。

しかしそのあと、旦那さんはこう続けた。

だけどさあ、俺、君が羨ましいよ。

えええ?

期待して乗り出した私に彼はこう続けた。

だってさ、境内で玉虫を見たんでしょ?昆虫博士の俺ですら見たことないんだぜ?


⁉︎


そこ?

しかしそれは、やんちゃな5歳の私が、ずっと待っていた言葉でもあった。トイレの神様、ありがとう。


        トイレの神様:  完