猫のオスカー | メテロのブログ

猫のオスカー

メテロのブログ-死の天使 オスカー

「死の天使」? 患者の死期を知らせるネコ

http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2260066/1912970


老人病専門医によると、オスカーは定期的に患者を巡回し、病状の進行を検知。どの患者が次に亡くなるのかを予知するのだという。クンクンと患者のにおいをかいでまわり、ある患者の側に寄り添い、丸くなって眠る。

 「オスカーがある患者に寄り添っているのを医者やスタッフが目撃すると、それがほぼ絶対的な予見であるため、患者の家族に適切に最後の時を予告することができる」と医師は話す。スタッフはオスカーが死の前兆を感じると、直ちに家族と牧師らを呼び寄せて臨終に立ち会わせる。



星メテロぬこ星メテロぬこ星メテロぬこ星




俺がプロフィールに使っとる画像の猫が、このオスカー。メテロぬこ


人の死を予見して、その人の前に現れるなんて、死神みたいで不吉だと思う人もおるかもしらんけどね。

俺が考える望ましい死に方に、しっくりくるアイコンみたいな気がして、この猫をブログに持ってきたんだよね。


俺のようなクソニコ房には、死生観なんて難しい言葉はわからんけどね。(・ω・`)




ぶろっくぶろっくぶろっくぶろっくぶろっくぶろっく



死生観

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E7%94%9F%E8%A6%B3


死生観(しせいかん)とは、を通したの見方をいう。類型には:

  1. 人が死んだらどうなるか?どこへ行くのか?
  2. 死後や死者をどう捉えるか?
  3. 生についての人々の考え方や理解の仕方
  4. 生きることとは何か?死ぬこととは何か?

などがある。

宗教や文化、又はその人の人生が成功だったか失敗だったかによっても異なる。死生観の定義自体も、見る者の視点によって異なる。

民族によって死生観は当然異なることが多く、民族間の確執に死生観の相違が関わっている、とされるケースもある。



ぶろっくぶろっくぶろっくぶろっくぶろっくぶろっく




望ましい死に方なんて書くと、ぞっとする言葉の響きがあるかもしらんけどね。(・ω・)



死には、悲しさや寂しさが残された者には必ずあるわな。

しかし、俺はそのときに後悔を感じたくないわ。


こうするべきだった、ああしておけばよかった、死を迎えた者に対して思うことが、そうでありたくない。





ひるがえって、自分が死ぬ際を考える。

やり残したことがある、まだ途中なのに、という後悔をしたくない。


この不思議な死を予見する猫のオスカーが来てくれれば、いついつまでに死ぬとわかる。

死ぬ時期がわかれば、その日までに後悔を残すことなく生きることができるだろう。


しかし、俺の前にオスカーが現れることはないわ。

だから【 生きて死ぬことに後悔したくないという意味 】を忘れんように、オスカーを拾ってきたわけだ。


人間は思いつめても、ときが経てば忘れがちになってまうかんね。

俺のようなゆるい人間は、けっこうな頻度で忘れてまうけどさ。(´ω`)サーセン






生活を転換させる指針

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4936268



人生の進み具合というものは、なんと奇妙なものだろう!


小さな子どもは、『もっと大きくなったら』と口にする。だが、どうしたことだ。

大きくなった子どもは、『大人になったら』と言うではないか。


そして大人になると、『結婚したら』と言う。

けれども、結婚したらいったいどうなるか?


考えがコロリと変わって、『退職したら』とくる。

やがて退職が現実のものとなると、自分の過ぎし日の光景を思い浮かべる。


そこには木枯らしが吹きすさんでいるようだ。


どういうわけか、すべてを取り逃してしまった。

もはや過ぎ去ってしまったのだ。

そして遅ればせながら、われわれは学ぶ。


人生とは、生きることの中、毎日毎時間の連続の中にあるのだということを。 スティーヴン・リーコック



学ぶものがいっぱい詰まっとるけど、クソニコ房の俺っぽくねーお。(・ω・`)赤字、見づれえか。サーセン





江頭2:50 名言・迷言集

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1776185



これをやったら次回出られなくなるんじゃないか

なんて考えないようにしている。


人間、いつ死ぬか分からないから

その時のすべてを出し切りたいんだ。


俺はいつ死ぬか分からないし、

見てくれる人だっていつ死ぬか分からない。


視聴者が最後に見た江頭が

手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?



つまりは、この江頭の言葉に集約されるわけだ。

スティーヴン・リーコックからは学べるが、江頭からは学べない、と思う人もおるかもしらんけどね。(・ω・)


たとえ猫のオスカーが俺の前に現れなくても、俺の考え方は変わらない。

1週間後でも明日でもいいけど、死んでまうと思えば、残された時間でやらなければならんことが、自ずと見えてくる。

そう考えると、今までと違う今日を生きられると思うんだよね。


ちょいオーバーに書いとるけど、基本的にはそう考えて俺は生きとるよ。



でも、たとえ後悔はなかったとしても、死の悲しさや寂しさはあるわな。(´・ω・`)

悲しさや寂しさは病(やまい)につながりがちだから、気をつけんとなあ。




星メテロぬこ星メテロぬこ星メテロぬこ星




ニッケルバックの、セイヴィン・ミーで〆。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2423448