なんのために言葉を書くのかと言われれば、私は絶対に自分が生きるためだと言える。

私の言葉が詩と呼ばれ始めたのはたった3年前のことで、それまで私は私の言葉を詩だなんて思ったことすらなかった。

誰しも生きていると思うことがあって、人には言わずに消化したいと思うことがある。

私の方法は言葉の羅列だったし、詩ってなんだろう?って考え始めて詩が嫌いになってもやっぱりやめることはできなかった。

現代アートだって、本当は嫌い。

だけど、きっと本当は大好きなんだろう。

誰かのためだけに生きるべきではない。

tumblerに思いついては書いているけれど、もうどこにもリンクは貼っていない。

やっぱり見せるためには書けない。

自分のためにしか書けない。

そこに誰かのための言葉はない。

誰かが私の言葉から、自分のための言葉を見出すだけだ。

最近、たくさんの人を傷つけて、たくさんの人を失った。

大学生活で培ってきた関係をほぼ全て失った。

完全に自分のせいだし、そこに誰の異論も認めない。

今までしてきた適当な生き方を見直すべきときだと思う。

生きろ、生きろ、と思う。

絶望はしないし、絶望したところで自殺しない限り生きていく以外の方法はない。

死にたいか?と聞かれれば死にたい、死にたかった、今は生きたいけど、もしこれ以上のことがあったらわかんないなあ

でも、絶望はしたくない。変に前向き。笑

制作も、留学も、人との関係も、自分の評価も、これからのことも、なーんにもわかんないけど、生きていくしかない。