読売ユース時のトレーニングとゲームの状況を考えてたんですが、イマイチ思い出せません(^^;

 

藤吉くん(二級上)やミニラ(中村忠/一級上)の時も同じでしたが、うちらの時はまだ今現在みたいにクラブ数も整備もシッカリされてなく、高校サッカーの1月の選手権みたいのが無いから、公式戦は夏休みのクラブユース選手権が最後の大会だったんですよね

分かり易い考え方は、高3は夏のそこで引退扱い的な?

 

 

関ちゃん(浩二)は一人だけトップの練習に呼ばれてて、俺と蓮見は読売ジュニオール(サテライト/2軍のようなもの)で残りの期間もJSL2部(今で言うJ2)公式戦に出続けてましたけど、現役が一番長かった村田(達也/現ブリオベッカ浦安コーチ)など他の奴らはどうしてたのか?

 

勿論、強豪校とのTRMと高校メインの招待大会・12月には各県選手権出場校との多数TRMはありましたが

1月のニューイヤーカップがマジのラスト

 

ん~ 公式戦が全く無かった・・・

参加も超自由で暇が多かったから、本人たちのサッカーの好き度だけでホント成り立っていた(笑)

 

まぁこれが、今も変わらずでクラブ(J下部)の強みですけどね

 

 

※ニューイヤーカップ

毎年ヨーロッパから有名1チームのユースを呼んで対戦していた

招待チームは、現在でもずっと育成が優秀なアヤックス(オランダ)

 

対戦出来たのは

クラブチャンピオン

高校選手権覇者

その後にヨーロッパ遠征する高校選抜

 

ちなみに俺は

1年時/負 グラスゴー・セルティック(スコットランド)

2年時/勝 ブレーメン(ドイツ)

3年時/負 アヤックス

でした