大相撲に少し詳しくなって相撲観戦が楽しくなるかもしれない大相撲攻略本。第4弾は「行司」についてです。


正直あまり意識していない人も多いであろう行司という職業。しかしながら、行司も大相撲には欠かせない存在なのです。


さて、そもそも「行司」とはどのような仕事をしている人なのでしょう。行司とは、立派な和風の装束(直垂(ひたたれ)に烏帽子)を着て、取組中に「のこったのこった」という掛け声をかけ、勝負が決したらその勝敗を軍配を上げて示す、あの人たちのことです。


図1. 土俵に立つ行司(十両格 木村千鷲)

(出典: https://www.sumo.or.jp/Profile/gyoji/2005/)、


「つまり行司って、相撲の審判のことでしょ?」って思うかもしれませんが、実は厳密には違います。勝敗の最終決定者は土俵下にいる5人の「勝負審判」であり、行司はあくまでも「勝ったと思った力士に軍配を上げて勝者を示している」というだけの立場なのです。そのため、勝敗に疑義がある場合には土俵下の勝負審判から「物言い」が付けられ、ビデオ判定が行われます。その結果勝負審判により勝敗が誤っていたと判定されれば、「行司軍配差し違え」となり、勝敗が覆ることとなります。


余談ですが、相撲にビデオ判定が導入されたのは昭和44年(1969年)の5月であり、世界中のプロ競技で最初の導入事例だったりします。凄いことです。



図2. 物言いが付き勝負審判が協議している様子

(出典: https://www.sumo.or.jp/Entertainment/quiz/559)



さて、ここまでの話を聞くと、勝負の最終判定が勝負審判ならば、一体行司は何のためにいるのか?という疑問が生じるかと思います。実は、行司の役目は勝敗を示すだけではないのです。


行司の役割は、以下のように多岐に渡ります。

・土俵上の進行役

・勝敗の公示、勝ち名乗り

・土俵入りの先導

・土俵祭の司祭

・場内アナウンス

・番付編成会議、取組編成会議の書記

・番付表の作成(手書き)

・その日の勝負結果の記録

・巡業での交通機関、宿泊場所の手配


上記の通り、一番目立つ土俵上で勝負を裁く仕事よりも、実際は土俵外での仕事がとても多いことが伺えます。これらの仕事の詳細については、またの機会に…。


さて、このように意外と様々な役割を担っている行司ですが、実は行司にも「格」があり、力士同様番付が存在します。


力士の最高格は「横綱」ですが、行司の最高格は「立行司(たてぎょうじ)」と呼びます。それに続き、「三役格」「幕内格」「十両格」「幕下格」「三段目格」「序二段格」「序ノ口格」と、力士の番付と同じ名称の「格」が存在しています。


行司の出世は基本的に完全な年功序列であり、入門した順番通りに昇進していきます。したがって、格が高い者ほど基本的に年齢が上ということになります。行司は大体15〜18歳ほどで入門し、40年以上かけて最高位の立行司を目指すわけです。


番付ごとに力士の待遇が変わることは以前ご紹介しましたが、行司も同様に番付に応じて待遇が変わります。

一番差がわかりやすいのは行司が身に付ける装束でしょうか。装束は、幕下格以下では木綿で作られた質素なもので、袴をたくし上げて絞り、半ズボンのような状態にして、素足で土俵に上がります。それが十両格以上になると、夏は麻、冬は絹でできた立派な装束を身に纏います。テレビでよく見る行司さんの姿ですね。



図3. 幕下格以下の行司(序ノ口格 式守風之助)

(出典: https://www.sumo.or.jp/Profile/gyoji/2368/)



図4.十両格の行司(式守慎之助)

(出典: https://www.sumo.or.jp/Profile/gyoji/2002/)



装束の生地が変わる以外にも、十両格になると足も素足ではなく足袋を履くことができるようになります。他にも、十両格以上は土俵控えに座布団が用意されたり、軍配が漆塗りになったり、付け人を付けることが許されたり、十両格行司が土俵に上がると照明が明るくなったりと、とにかく一気に華やかになるのです。


さて、十両格になると力士と同様に一気に華やかになると書きましたが、力士と同様ということは当然、十両格、幕内格、三役格、立行司でさらに違いがあります。

幕内格と十両格は待遇面でわかりやすい差はありませんが、軍配や装束に付けている房や菊綴(きくとじ)の色が異なり、それが格を示しています。三役格や立行司も房色などが異なりますが、それだけでなく、三役格行司は土俵上で草履を履くことが許され、さらに右腰に印籠を携えます。そして立行司になると、三役格の持ち物に加えて短刀を腰に差し、付け人は2人になり、「親方」として扱われるようになります。


図5. 幕内格行司(木村元基)

(出典: https://www.sumo.or.jp/Profile/gyoji/1991/)


図6. 三役格行司(木村晃之助)

(出典: https://www.sumo.or.jp/Profile/gyoji/1988/)



図7. 立行司 39代木村庄之助(この写真ではポケモンの装束を着用している)

(出典: https://x.com/Ichiro_SUMO/status/1879032541539410402)


ここまで行司全体の話を書き連ねましたが、その中で行司の最高格である「立行司」が他と一線を画す存在であることをちらちらと触れてきました。そこで、改めて立行司についてもさらに細かく見ていきましょう。


立行司は最大2名しか枠がありません。さらに立行司は襲名制であり、代々決まった2つの名跡のみが立行司の名前として扱われています。その名は、「木村庄之助」と「式守伊之助」です。


2名いる立行司の中でもさらに格の差があり、木村庄之助が行司の最高格で1日に一番、その日の最後の取組(結びの一番)だけを合わせます。式守伊之助は2番目の格とされ、結び前の二番を合わせます。現在の木村庄之助は39代目、式守伊之助は43代目です。


立行司は横綱や大関の取組を裁く非常に責任のある立場であり、腰の短刀はもし行司軍配差し違え(誤審)した場合にはその場で切腹する覚悟を示しているとも言われています(諸説あり)。


現代においてその場で切腹することはありませんが、その代わりに立行司が軍配を差し違えた場合、その日のうちに進退伺(辞職の申し出)を提出することが通例となっています。そのため、常に荷物の奥底に進退伺の書類を携帯している立行司もいます。

なお、差し違えによる進退伺が受理されることは通常はありません。

余談ですが、立行司昇進以降1度も差し違えがなかった神懸かり的な立行司もいたりします(34代木村庄之助)。


木村庄之助まで上り詰めた行司は個性豊かで、それぞれにこだわりや信念があり、皆が名行司です。



図8. 34代 木村庄之助

(出典: 

)



さて、かなり長くなりましたので、今回はここまでとします。「のこった」の掛け声にも個性があったり、相撲字の名手しか名乗れない名跡があったり、明治時代までは直垂(ひたたれ)に烏帽子ではなく裃(かみしも)を着ていたんだよ、などなど、行司についてはまだまだ語ることが多いですが、それはまたいつか…。