子どもが賢いことは、親にとっては喜ばしいことだと思うのだが
(だって、巣立っていってくれる可能性が上がるから。)
私の親は、そうではない。
どこかこう、卑屈で、自信がなく、
「私が悪いんでしょ」
といじけてみたり
「私を馬鹿にしているのか!」
と攻撃的になったりする。
そんなこと、しなくていいと思うんだけどなあ。
だって、苦しいでしょう?
でもしちゃうっていうことは、
なにかあるんだよね。
何か、ためになることがある。
それは、親が親自身の心を守っているとか、そういうことなんだと思うので
それ事態はいいのだが、
そのせいで子どもが混乱するのは、
なんだか誰も幸せになってない感じがする。
それにそういう親を見ていると、やっぱり私も幸せじゃないし。
地球の反対側に住んでる、言葉も通じない他人ならまだしも、
一緒に住むほど縁が濃い相手となると、
どうも気になってしまうなあ。
それでね、
何にも気づかないようにして、
馬鹿のフリして生きている、というライフスタイルが、
親の心をこれまで守ってきたのだとしたら、
私はそれをきつく責めることなんて、できるわけがないですよねえ。
だからこそ思うのは、
親には、真剣に、自分自身の幸せに
向き合ってくれたらいいのになってこと。
まあ、こういう風に、自分以外の人間に
期待してしまうこと自体が、
私の苦しみになってしまうのだから、
本当はこの考え方もどうなのかなとは思うが、
実際に色々と
方法を探しまわった結果、どうしても
『自分自身の幸せに 本人が向き合う』
このあたりに着地するんですよね…。
これはもちろん、
私が「私が幸せに生きること」を考える時も、そうです。
ただどうしても、環境がととのっていない段階で
真理を言われても、
まったく入らないんですよね。
そりゃ誰でもそうですよね。
だから、どうしたら本人が、本人の幸せについて
真剣に向き合えるようになるのか?
どうしたらそれをスムースに運べるのか?とか
そういう「入口」みたいなものがどうだったら快適なのかなってことを、
考えています。
ただ、そう言っている今、この記事を書いている段階の自分も、
自分が幸せになっても良い、ということを
かなりしつこく;繰り返し教えている途中です。
だからこれは長い取り組みになるんでしょうね。
そういうものなのでしょう。
焦らないことにします。