最近何度も聞いてきた“存在”の意味や感覚が
あーそうか
こういうことかと
溢れてきている
はじめは高次元のメッセージを思考で捉えてしまうから
この“存在”の意味が
どうしても外側でとらえてしまい
存在という何者かになろうとしてました
魔法使いになろうとしていたし
神人合一して何か凄いものになろうとしてました
7年前の記憶を辿ればそんなことをおもってましたね
今存在のことを話すとしたら
“存在”という言葉がなんて的確なんだろうと思います。
存在をググるとこんな風に書かれてました
あること[1]。あるいは、いること[1]。また、そのある(いる)何か[1]。
(哲学)
他の何かに依存することなく、それ自体としてあるもの[2]。
ものの本質[2]。
本当にそういうことなんですね
これなんですね
ずっと無視してきました
こんなにも愛そのものの存在を
受け入れてなかったですもの
感じてあげることも無かったし
信じてあげる事もなかったです
他者が居ての私は感じたことはありましたが
本質の私は今まで全く盲点でした
あらゆるものが
取り払われて
出てきたのかな
宝石箱を開けたみたいに嬉しいです

愛そのものの存在でいるって
寛いでいて
何かをしていてもしていなくても
なんだかとても充実感や信頼感があり
余計な思考や飾りが無い本当にピュアな状態で
裸みたいな感じかも

何かが起きたとき思考は直ぐに恥ずかしくなって服を着たがるけど
存在に寛ぐと
恥ずかしいさも惨めさも恐怖も
自分自身がシステムそのものになって
味わって 受け入れられてしまいます
楽チンだ~✨
そういえばこれをきっかけにこの感覚が浮き出てきたというストーリーがありました
少し前の話になりますが
愛犬が車に跳ねられ怪我をしてしまい
病院で脚の手術をしたときのこと、
私は、病院への搬送と一通りの手続きが終わると
ふう~と一息
落ち着いたせいか
やっと泣くことができました
そして思考が出てきました
「私は犬の何を受けとれば良いのだろう」
早く私が何とかして受け取らなければ
最悪なことが起きてしまうかもしれない
とどんどん不安になってきました。
そんなとき
片割れに電話して
状況を説明し
「私は何を受けとれば良い?」
と半べそで言っていました。
すると なんと
その答えが
「何にもしなくて良い」
「そのままで良い」
「君がそこにいるだけで良い」
でした!
三次元では冷たく感じたりなんて無責任な!となる言葉かもですが
私には新次元のシステムが入っていたので
あ!そうか!と
存在の寛ぎに戻されました
どれだけ、問題解決がすきだったか
何者かになるために実践する思考が
よくわかりました。
忍者はっとりくんみたいにサササと思考は動き、隠れ蓑術でうまく隠れてました(笑)
(一ヶ月で犬は後遺症もなく完治しました)
そんな体験もあり
極端に体験した慌ただしい思考と
そのままでよい愛そのものの在り方を
体験しているうちに
何もしなくても存在の寛ぎ感が勝ってきて
良くしようとするエゴちゃんからの実践から離れられました
存在が全部やってくれる
と言ったら外側に聞こえがちかな?
私の本質が全自動で歪みを整えている!
存在の力
存在の魅力
存在の美しさ
ほんとなめてました!