母に寝てる?と聞いたら
「寝てるよ~」と答えた。
それ起きてるやん(笑)
本当に寝ている人は
寝てる事って自覚できるのだろうか
できないですよね^^
もし、死んでいたら?
死んでいますとは言えないですね^^;
自分が死んでいることはわからないかもしれないし
三途の川を渡って綺麗な場所で生きている感じでいると聞いたこともあるし
逆に自分が消えれば宇宙も消えるという説も聞いたことがある。
とうことは本人にとって「死ぬということは今体験できない」
今には死も生もない。
死の恐怖って、生きていると拭い去れないものに感じる時があるけど
それは思考の中で起きていることで
実際はその死はどこにもなかった。
ただ、スクリーンに映し出された世界に、見かけ上の死は存在しているように見える。
そして、それに対して様々な感情を持ったり、判断を下して、あたかもそれが真実であるように思い込んでいる。
だから私はフィアンセの死から4.5年立ち直れなかった。
とてもむごいことが起きたと思い込んでいたから。
真実に気付くまでこの話が入ってこなかった。
でも真実の世界ではなにも起きていなくて、ナチュラルな現実だけがそこにあったことがわかったとき
やっと自分を苦しめていた呪縛から解いてあげることができた。
人間はずーっと夢の中で思考によって苦しみ、思考によってコントロールしようとし、思考によって自分を守ろうとしてきた。
やがて真理を求め、思考を観察できる力もついてきて、思考と思考の隙間に真実の扉が開いてくることで
次元というものがどんどん明らかになってきた。
幻想の世界はいつも二元
思考の世界にはまりこむと、2つのうちの一つしか体験できなくなる
今思うと、それは欠けていて窮屈で不自由で苦しかったね。
だから、恐怖に基づいて人生をコントロールしようとする動きしかとれなかったね。
それをそのまんま見てみよう♪
わたくしお恥ずかしいほど人生コントロール欲が強かったのです
エゴちゃんはこれに気付いたとき穴があったら入りたくなるほどでした(/ω\)
でも、愛の源はそれさえも全体の完璧な現れとして、この「実」の世界にそれを表現しました。
これがわかる位置、全体、が明らかになったことが私にとっての救いであり夜明けでした。