今、なんかすごく溢れてくるものがあるので
書いてみようと思います。
この私だと思っている私は
私ではなくて
色々なものをまとっている仮の姿
そのまとっているものをぽんぽん脱ぎ捨ててゆくと
もしくは、あかちゃんのように考えずにいると
この肉体にはまり込んだのが私ではなくて
私は、空であり、植物であり、土であり、すべての人類であり、動物であり、太陽系であり、銀河であり
とどんどん意識が広がっていって
全てが私の内側になってしまう
全ての存在物は
私を映し出す鏡といってもいい。
この肉体ももれなくね。
だから本当のわたしの実在は
見えない映写機
そこに視点があり
鏡を使って自分を見ている(体験している)
そこは全てのものがバランスになっていて
全てのものが同時に存在している
その全体になっているときは
思考が使えず
ポーっとしていて気持ちよく
また同時に冴えていたりもする
その全てである私は
ただ「ある」という心地よさを味わっていて
色で例えるなら
虹色
という感じ。
だから、今までこの肉体に同化したままの観点で
このエゴに全て答えがあると思っていたことが
元凶で
この宇宙の広がり、ビックバンさえも私
と感じているその世界では
全ての陰陽のバランスが整っているので
負のエネルギーも
正のエネルギーも存在しない
実に、ぽよよ~ん
な世界で心地よいのである。
その視点を見つけてしまえば
この肉体と全ての事象を
ただ、なんの判断もなく
私の鏡として素直に見ているだけで
いろいろと身にまとっていたものが
はがれてゆき
肉体にはまり込んでいる私が見ている世界も
心地よいものになってゆく
これはマジックとしか言いようがない
思考の重みが無いので
思ったことが直に反映されたり
嫌なものは消え去るようになっている
それは波動の世界で
物質がぐにゃんぐにゃんだったりするのでそれが可能となる
といった感じ♪
今はこの二つの視点が同時にあることで
人が神を体験し
神が人間の中に住んでいるような
不思議な感覚なのであります。
書いてみようと思います。
この私だと思っている私は
私ではなくて
色々なものをまとっている仮の姿
そのまとっているものをぽんぽん脱ぎ捨ててゆくと
もしくは、あかちゃんのように考えずにいると
この肉体にはまり込んだのが私ではなくて
私は、空であり、植物であり、土であり、すべての人類であり、動物であり、太陽系であり、銀河であり
とどんどん意識が広がっていって
全てが私の内側になってしまう
全ての存在物は
私を映し出す鏡といってもいい。
この肉体ももれなくね。
だから本当のわたしの実在は
見えない映写機
そこに視点があり
鏡を使って自分を見ている(体験している)
そこは全てのものがバランスになっていて
全てのものが同時に存在している
その全体になっているときは
思考が使えず
ポーっとしていて気持ちよく
また同時に冴えていたりもする
その全てである私は
ただ「ある」という心地よさを味わっていて
色で例えるなら
虹色
という感じ。
だから、今までこの肉体に同化したままの観点で
このエゴに全て答えがあると思っていたことが
元凶で
この宇宙の広がり、ビックバンさえも私
と感じているその世界では
全ての陰陽のバランスが整っているので
負のエネルギーも
正のエネルギーも存在しない
実に、ぽよよ~ん
な世界で心地よいのである。
その視点を見つけてしまえば
この肉体と全ての事象を
ただ、なんの判断もなく
私の鏡として素直に見ているだけで
いろいろと身にまとっていたものが
はがれてゆき
肉体にはまり込んでいる私が見ている世界も
心地よいものになってゆく
これはマジックとしか言いようがない
思考の重みが無いので
思ったことが直に反映されたり
嫌なものは消え去るようになっている
それは波動の世界で
物質がぐにゃんぐにゃんだったりするのでそれが可能となる
といった感じ♪
今はこの二つの視点が同時にあることで
人が神を体験し
神が人間の中に住んでいるような
不思議な感覚なのであります。