前回に続き、あるトンデモ経済怪説動画の金融緩和政策批判のデタラメぶりを指摘します。今回のシリーズは動画そのものの間違いを指摘するだけではなく、日本の民間産業を四半世紀にも渡りボロボロに衰弱させ続けた日銀理論というものを批判していくものです。

 

前回記事

 

前回、今回そして次回も取り上げる問題の動画です。

 

 

自分はツイッターで「上の動画を視て、間違いを5つ以上指摘せよ」という問題をツイートしましたが、前回は2つまで解答を書きました。ひとつ目は異次元金融緩和の目的を物価を上げることだと言ってしまっていることで、ふたつ目が「マネタリーベースを増やしてもマネーストックが増えなかったから量的金融緩和の効果がなかったんだなどと言ってしまっている点です。

 

金融緩和政策の目的は民間企業や個人の投資意欲を引き出すことで、モノやサービスの生産活動の活発化や雇用の促進を計ることです。日銀の黒田総裁や岩田規久男元副総裁が打ち出した2%のインフレターゲットは投資や雇用拡大を引き出すための目標であり、目的ではありません。動画は目標と目的の区別がついていないのです。マネタリーベースを増やしてもマネーストックが増えていないじゃないかという発言も、市中に出回るお金の量を増やすことが金融緩和の目的だと勘違いしているのです。この勘違いはMMT(現代貨幣理論)支持者たちも犯しています。政府や日銀が市中にカネをバラ撒けば景気がよくなると思い込んでいる人が多すぎます。岩田規久男さんはそれは間違いであると以前から指摘されています。

 

それでは本編に入っていきましょう。

動画の間違い その3 「金利が非常に低い水準にあると、いくら金融緩和を行っても資金需要を増やすことはできない?」

 

これはケインズが生前「今まではなかったけど、もしかしたら起きるかもよ?」と言っていた流動性の罠というべき現象で、旧い教科書ですとそうした事態に陥ると金融緩和政策は効果がなくなると書かれていました。しかし名目金利がゼロを彷徨うような事態に陥っても、民間企業の投資意欲を引き出す手があります。実質金利を下げるのです。

 

前回記事の間違い その1でも書きましたが、実質金利とは名目金利-予想物価上昇率です。それは新古典派経済学者の第一人者であるアーヴィング・フィッシャーが見つけた方程式なのですが、ケインズが初期に書いた「お金の改革論」にも触れられています。

 アーヴィング・フィッシャー

 

異次元金融緩和でインフレ予想が重要だというのは実質金利を下げるためです。(動画制作者のような勘違いしないように強調しますが、現在の物価ではありません。将来の物価予想です。)

 

モノやサービスの生産をする事業のために投資判断をする企業経営者にとってインフレ予想とは何でしょうか?それは利益率が厚くなるという予想や期待です。現在100円で売っているコーラが消費者の購買力が高まって将来120円で売れるという予想や期待があったとしましょう。そうすれば商品の改良なり、生産設備の増強や人員補強といった投資をしようというインセンティブが生まれます。逆に100円で売っているコーラがデフレで80円でしか売れないと予想されるならば研究開発費、原材料費、人件費、設備投資をコストカットで切り詰めていかないと利益が確保できません。投資抑制です。一般労働者には賃下げや人員削減という鞭が飛んできます。こんなことすら理解できずにデフレの方が消費者にとっていいのだといっているのが動画制作者です。昭和恐慌目前に「下がる下がる物価 思わずほくそ笑むサラリーマン」などという記事を書いた大阪毎日新聞と同じです。

 

将来消費者の購買意欲が高まって高付加価値・高利益の商品を売ることができるという予想と期待

インフレ目標2%達成までは中央銀行が金利を低く抑えてくるという予想と期待

 

これがあれば企業は思い切った事業拡大や投資がしやすくなり、その結果として雇用の拡大や勤労者への所得分配が進みます。中央銀行がインフレ目標を掲げデフレ脱却を計るという強い意思を示すことで、流動性の罠から脱出できると説いたのがポール・クルーグマンらです。FRB議長となりアメリカを襲った金融危機のときに辣腕をふるったベン・バーナンキもそうです。

 

 

「金利がゼロにまで下がると金融緩和をやってもムダなんだー」という発言を聞くたびに私は怒りと呆れを感じざるえません。日本が政策金利をゼロ近くまで下げても民間の投資が復活しなくなってしまった原因をつくったのは1990年代初頭に「バブル退治」と称していきなり公定歩合(政策金利)を引き上げ金融引き締めをしてしまった三重野康総裁であり、それ以後の日銀総裁もバブル再発をあまりに恐れすぎて金融緩和を渋るようになります。

 三重野康

 

例の動画で「日本の金融緩和は2012年時点で大きく緩和していた状態だったので」と言っていますが、単純に名目金利のグラフだけ見せているだけです。確かに名目の政策金利は三重野総裁が思い切り上げて、その後再び下げて以降ずっと超低金利状態を続けています。しかしこれは再緩和のタイミングが遅く、その間に多くの民間事業者が資金繰り悪化で倒産・廃業に追い込まれたり、経営者の投資意欲を完全に萎えさせてしまったために、ゼロ金利に下げても手遅れになってしまったからです。あとから金利を下げたからどんどんお金を借りて投資してくださいと言っても会社そのものが潰れて無くなっていたり、経営者がキャピタルロスを恐れすぎて消極経営に転じてしまい、投資しない・できなくなってしまいます。ドラマの「半沢直樹」で直樹の父親が産業銀行の大和田から融資を断られ首を吊って自殺します。その直後に直樹が別の信用金庫から融資を受けられると喜んできたものの時すでに遅しでした。手遅れの金融緩和は香典と一緒です。またバブル崩壊のときにイケイケの融資態度で半ば強引にお金を貸していた銀行が、手のひらを返したがごとく貸し渋りや貸し剥がしを行いました。「銀行は晴れの日に傘を貸し、雨の日に取り上げる」と揶揄されたものです。

経営者にとって自社が苦境のときに融資を渋ったり、引き揚げてしまうような銀行に対する怨念は消えることがありません。

トヨタはドッジライン不況で1950年代に倒産寸前に追い込まれ、いくつかの銀行が緊急融資を行って窮地を逃れましたが、住友銀行だけは「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」といって融資を断り、貸し剥がしもやりました。これによって豊田喜一郎氏は心労が募って急逝します。トヨタは住友銀行に対する恨みをずっと持ち続け、以後出禁にし続けました。住友銀行が三井銀行と合併した後も三井出身者の行員しか相手にしません。トヨタは住友銀行に百倍返しの報復を続けたのです。

 

「日本は(経済成長が進んだので)もう投資機会がなくなった」などといわれますが、民間企業の投資意欲が失われ銀行貸し出しが減ってしまうような事態をつくってしまったのは日銀と銀行自身にもあります。

 

それと1990年代に金利をいくら下げても投資意欲が復活しなかった理由はデフレ(慢性的物価下落)という理由もあります。先に述べたフィッシャー方程式にあてはめてみると、デフレスパイラルによって名目金利がゼロ近くになっても実質金利が高いままということになります。あるいは1990年代以降の日本はヴィクセルのいう自然利子率が極端に低い水準になったともいえるのです。名目の政策金利がゼロとかマイナスになってもそれが自然利子率より高いならば「金融緩和をやったぞ」と言えないのです。

 

「金利がゼロ近くなってしまうと金融緩和はやってもムダだー」「マネタリーベースをブタ積みしてもマネーストックなんか増えないんダー」などという主張は日銀理論と云われます。この日銀理論は通貨の安定と民間の(雇用を含めた)投資や生産活動の安定という中央銀行の使命と責任を自ら放棄するもので自己存在の否定です。この日銀理論の跋扈によって1990年代以降30年以上に渡って日本の民間活力が削がれ続けたのです。民間事業者の投資意欲が弱まると新しい技術やサービスといったイノベーションやクリエーションが生まれなくなります。イノベーションやクリエーションにはカネ(資金)が必要です。タダではできないのです。

 

それと動画では低金利政策は長期間続けるものではないなどと言ってしまっています。僅かな短い期間だけ金利を下げているだけでは民間企業は長期的な大型投資に踏み切れません。投資してその元を採るのに十年以上かかる事業だってあります。またいくら低金利に下げても企業側がすぐに中央銀行が金利を上がてしまうだろうという予想をすればすぐに事業や投資を縮小します。金利負担が恐いからです。動画の投稿主はそういうことが全然わかっていないのです。

 

「日本は投資機会がないから」金融緩和は無駄なのでしょうか?そんなことはありません。

ニッポンの数字」様からお借りしました民間設備投資のグラフですが、第2次安倍政権発足前後の状況を確認しますと2011年の東日本大震災後の復旧再投資が落ち着いた2011年10月以後民間投資がじりじり下がり続けていましたが、安倍政権が発足した2013年から民間設備投資が活発になっていきます。2015年に一旦設備投資が抑制傾向になりますが、2016年後半から盛り返し、リーマンショック前を超えることができました。やればできるのです。

 

「金利がゼロ近くなってしまうと金融緩和はやってもムダだー」とか「マネタリーベースをブタ積みしてもマネーストックなんか増えないんダー」という金融緩和無効論は三橋貴明や中野剛志らのような財政膨張主義者やMMT(現代貨幣理論)支持者の大好物でもあります。「金融緩和が効かないから公共事業とかでどんどん国がカネをバラ撒いてやらないとダメなんだー」というプロバガンダにも使われます。

裏を返していえば1990年代以降の日銀の金融政策の失敗を財政政策で尻拭いせざるえなくなり、日本の財政赤字の膨張を許してきたともいえます

 

日銀理論は役人らの責任逃れのための理論であり、自由放任というより放置(ネグレイト)主義に他なりません。「政府・中央銀行は経済活動なんか統治できないんダー」「しちゃいけないんダー」という発想は不況や失業の放置だけではなく、逆にハイパーインフレのような事態が起きたとしてもそれを政府や中央銀行が止めようとしてはいけないし、止めることはできないと言っているも同然です。デフレになったらデフレになりっぱなし、インフレになったらインフレが進みっぱなしという状態になります。

 

「金利がゼロ近くなってしまうと金融緩和はやってもムダだー」などといって、民間事業者が生産意欲をどんどん失っていくことを放置しておけば日本の産業が衰弱していく一方です。四半世紀に渡る投資の萎縮が日本企業の新しいモノづくりやサービスの発展を阻害し、その結果中国や韓国などアジアの中進国に日本が占めていた世界市場を奪っていきます。日銀理論は亡国思想に他なりません。

動画の間違い その4 アベノミクスで儲かったのは富裕層と投資家だけ?

 

動画の制作者は普段保守自由主義を標榜しており、「リフレ派はアカ」などと言ってツイッター上で誹謗中傷を繰り返しています。

しかしこの動画のアベノミクス批判のやり方をみていると左翼が言っていることと一緒です。「金融緩和は富裕層や投機家だけに儲けさせる政策ダー」「アベノミクスでトリクルダウンなんか起きていないんダー」といった類のものと変わりありません。

 

アベノミクスの異次元金融緩和がはじまって以降、株価が急上昇しました。その理由はいくつかあります。ひとつは日銀が民間銀行用の当座預金口座に莫大な準備預金を積み上げたのですが、これの一部が株式や不動産取引市場に流れ込みます。そのことで株価や不動産価格が上がります。もちろん量的質的金融緩和政策の一環で日銀がETF(株式連動型上場信託)などを購入し、証券会社を通じて様々な民間企業の株式を買い取ったことなども影響します。さらにリフレーション政策の肝となる予想や期待も株価や不動産価格に影響を与えます。経済学者の飯田泰之さんがまとめれた「経済学講義」(ちくま新書)で次のような説明が書かれていました。

p175~(3)
不動産価格や株価は「将来得られるであろう賃貸収入・配当」で決まります。不動産は修礼の賃貸収入の予想、株価は将来の企業利益の予想によって現時点での価格が決まるのです。
①将来物価が高い=将来の名目賃料や企業名目利益が上昇する。したがって現時点での資産価格が上昇する
②将来の物価が高いと予想されると、現在のうちに買っておこうという合理的選択になり、現時点での物価が上昇する。

参考 菅原晃 高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 <未来が現在を決める 現代経済学の本質 その1>

 

 

量的質的金融緩和政策によって様々な波及経路を通じ株価や不動産価格が上昇しますが、それによって得をするのは富裕層や投機家だけでしょうか?そんなことはありません。一般労働者や年金生活者にも恩恵が及びます。

 

株式や不動産といった資産価格の上昇はそれを保有する民間企業の財務バランスシート(貸借対照表)を拡大させ、右・負債側の純資産を膨らませます。それによって商品開発や製造などへの投資や雇用を増やす余裕ができるのです。これを資産効果といいます。

 

 

逆に1990年代初頭にバブルが崩壊し、株価や不動産価格が急落してから、それを抱えていた企業や銀行のバランスシートが急に収縮し、経営悪化や経営破綻に追い込まれてしまうといったことが起きました。

 

 

「バブル退治の鬼平」と云われた三重野康ですが、白状しますと私も氏と同じく株式投機などには興味がなく、氏の政策を支持していたりします。ところがその後で起きた惨事をみてその認識を悔い改めざる得ませんでした。企業が保有する資産価値収縮とそれによる財務悪化の尻ぬぐいをさせられたのは、その企業に勤める従業員や後にロスジェネといわれる新卒求職者たちです。この現象をエコノミストのリチャード・クー氏はバランスシート不況と名付けています。量的質的金融緩和政策はこのバランスシート不況の逆となる効果を生み出したのです。

 

よく知られるように雇用の回復に先行するかたちで株価の上昇がはじまります。株式投機に手を出していなくても先の経済状況を占う上で株価は決して無視できません。一部で株価はアベノミクスの命だとかいう人がいますが、それを吊り上げることが目的ではないのです。コロナ危機のときに日銀がETF買いをやりましたが、これも民間事業者のバランスシートが毀損して倒産や廃業に追い込まれることを防ぐためです。株価暴落は一般庶民に関係ないというのは大間違いだということを念頭に入れていただきたいと思います。

 

次もまた動画の批判をしますが、5つ目の間違いとして雇用データの利用方法や考察の悪さと左翼臭の強さを指摘する予定です。

 

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