コロナ対策における超大型の財政出動が行われたのですが、東日本大震災のときの復興税と同じようにコロナ増税が行われるのではないかという憶測が生まれています。普通の人の感覚ですと「あれだけいっぱいお金を遣ったのだから、将来世代にツケを遺さないように増税しないといけないのでは?」と思いがちです。そうした発想について「実はそうではありませんよ」ということを論証していきたいと思って前回から記事を書き始めました。過去記事の繰り返しになりますが、今回は負債とは何か?貨幣とは何か?ということから順に話していきます。

 

国債とは言うまでもなく国が生み出した負債です。ここではあえて「借金」という言葉は遣いません。

そして私たちが普段に遣っているお金ですが、これもまた負債の証文や約束手形みたいなものだという話もしてきました。農耕がはじまった原始時代~古代で農産物の収穫時期がそれぞれ異なり物々交換が成り立たないために、「収穫できたら譲る」という約束の証としてお金というものが生まれたといわれています。

参考 過去記事「ほとんどの人が知らないお金ができる仕組み

 

 

 

このことを知っている人たちはよく「お金は借金から生まれる」という言い方をしますが。借金というよりも約束や義務といった方がいいのかも知れません。あと友達どうしで「お前に借りをつくった」とか「貸しを与えた」という話をすることがあります。「この前の貸しがあるだろ、今晩メシでも奢れや」「この前の借りを返すよ」という感覚でお金というやりとりがなくても互いに世話をかけたり世話になった御礼をしたりするものです。それを表券化したものがお金というものでしょう。

 

あと子どもがいる家庭で父の日・母の日なんかに「お手伝い券」とか「肩たたき券」みたいなものを子どもがつくるなんてこともあったりしたものです。

 

お金というものは本来「あなたに私が持っているもの・つくったものを手渡します」とか「あなたに奉仕します」という約束を書いた証明書みたいなものだと思っておきましょう。

 

次に経済って何という話をします。多くの人が思い浮かべるのは経済学=お金の話というものです。経済記事なんかでも「マネー(Money)~」というタイトルがついていたりしますが、正直私は経済学をお金のことについて知る学問だという捉え方は好みません。

 

経済学とはモノやサービスの生産と分配のあり方を知り考える学問だと私は思っております。いかに活発にかつ効率よく優れたものとかサービスを豊富に産み出していき、それを多くの人々に広くまんべんなく分配するのかを探究するのが経済学の使命です。

 

 

そのために私はあえてお金という媒体に目を向けるのではなく、人々が日頃から遣うものとかサ-ビスの生産状況や分配状況の方に関心の目を向けるのです。

 

仮に自分が誰もいない無人島や砂漠のど真ん中にいたとしましょう。そこでお金を何千万円とか何億円持っていて何かの役に立つでしょうか?そんな状況ではお金もただの紙切れであったり、金属物質でしかありません。無人島や砂漠のど真ん中で価値があるものといえばお金より食糧や水でしょう。お金というものが意味を持つのはモノとかサービスがたくさんあって、それを交換しあえる相手がいるときです。

 

戦争なんかで焼け野原になって、生活物資がまともに手に入らない状況においてはお金より米とか野菜、衣料品といったものの方が貴重です。だから終戦後の日本はお金の価値がものすごく低くなって紙屑同然になってしまったのです。政府が発行した戦時国債や外地で発行した軍票なんかも紙屑です。「戦争に勝ったら還す」という約束が反古にされたからです。

 

極端な話ですが、人間は食糧とか水、燃料、衣料品などといった生活物資さえ供給されているならば生存が可能であり、不便にはなりますがお金がないかその価値がものすごく低くなっても野垂れ死にすることはありません。逆にお金がたくさんあってもモノやサービスが存在しなかったら人間は生きていけないのです。

 

経済学といえばお金の方に目が向きがちですが、ほんとうに大事なものはモノとかサービスです。アダム・スミスはわたしたちの生活を豊かにする様々なモノこそが”富”であると位置づけ、逆に金貨や貴金属を”富”と見做してその蓄財に励む重商主義を批判してきました。

 

私は経済活動の主役は”もの”だと考えます。”もの”とは人である「者」と生活財である「物」であります。少し話が脱線しますが、古代やまとことばにおいても”もの”は「者」と「物」の両方をさし、それは互いに境界がなく、ひとつの”もの”だったと云われています。ある「物」の中にそれをつくった「者」やつかっている「者」のたましいが宿るという見方がされていたと想像されます。

経済学は人の動き・物の動きをとらえる学問なのではないでしょうか。

 

”もの”を主役とした経済観・財政観を持ちますと、これまで日本で騒がれてきた国家財政危機説とか破綻説、ハイパーインフレ危険説というものが実は”お金”という観点だけで騙られている嫌いを感じます。あるいは逆にMMT(現代貨幣理論)とかも実は”お金”という存在にしか関心が向いていないのです。ケルトンらも一応モノやサービスといった実物財が重要だという話をしてはいますが、モノやサービスの生産や供給が彼らの経済モデルの中にしっかり組み込まれているのか不明です。

 

”もの”という存在を軽視した人たちが経済を騙ってしまいことにより、結果として圧倒的なもの不足状態つまりは貧窮状態をつくり出してしまうことを私は恐れています。逆をいえばしっかりとした”ものづくり”ができていて、人々が必要な生活物資が豊富に生産・供給できている国や社会ならばハイパーインフレだの通貨暴落などといった事態を過剰に恐れる必要はないのです。

 

今回のコロナ危機で国民全員にひとり10万円の現金給付が実施されました。これについて「国の借金が」と気にする人たちが出ていますが、先日今年3月まで日銀審議委員を務められ、現在名古屋商科大学ビジネススクールの教授となられた原田泰さんはWedge Infinityに寄稿された「所得制限は机上の空論、緊急時は一律給付が最善策」で次のように仰いました。

 日本の太平洋戦争敗戦直後の財政状況と現在の財政状況が同じなのに、なぜ現在インフレにもならず、円の暴落も起きないのかと、多くのエコノミストが不思議がっている。理由は簡単である。これは政府部内の、あるエコノミストの説明だが、戦前は政府が借金をして軍艦や戦闘機を作り、皆、海に沈めてしまった。現在は、政府の借金は基本的には社会保障として国民にばら撒(ま)かれている。ばら撒かれた国民は、それを有益なことに使ったり、貯蓄したりしている。GDPを増やしたり、国債や外債を買ったりしている。だから、インフレも円の暴落も起きない。

 

 国民にばら撒けば、博打(ばくち)や酒に使ってしまうと言う人が多いが、戦前には、軍人政治家が博打に使った。満洲映画協会理事長、甘粕正彦元陸軍憲兵大尉の辞世の句は「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」である。戦争という大博打をして失敗したと、自ら認めている

 

 

戦時中の場合、政府や軍部が徴税だけではなく、戦時国債などという方法もつかって泡銭をどんどん増やし、国民が保有していた多くの”物”を収奪し、それを消耗させてきました。徴税だけではありません。徴兵というかたちで”者”も収奪し殺していっています。現在のコロナ危機で給付された現金は国民自身が実物財を購入したり、貯蓄や投資に遣われています。

 

コロナ対策で現金給付だけではなく、民間事業者の経営存続を目的とした補助金・助成金の交付も実施されましたが、これは自粛や休業要請、需要急減による倒産・廃業の拡大を防止し、モノやサービスの生産・供給が壊死してしまう事態を回避するという狙いがあります。一時的なコロナ危機でモノやサービスの生産・供給を行う民間事業者がバタバタ潰れれば、結果的に需要側だけではなく供給側も縮小し、スタグフレーションの発生や税収不足によるさらなる国家財政危機を招きかねません。

 

よく巨額の財政赤字を積み重ねると「将来世代に大きなツケを遺す」とかいわれますが、コロナ危機で苦しむ多くの民間企業や個人を緊縮財政で見殺しにし、その結果として後のモノやサービスの生産活動を萎縮させて、人々の暮らしを貧しくしてしまうことこそ「将来世代に対する大きな負の遺産」となるのです。

消費税減税などを巡って党執行部と意見対立し立憲民主党を離党する須藤元気氏は次のような発言をしました。

 「悔しいんですよね。やっぱ政治の、政治の失敗で僕らが犠牲になってるじゃないですか。悔しいですよ。ちっちゃいころから日本は何百兆円借金があるとか、そのためには我慢しなきゃいけないとか、この30年間ずっと我慢してきたんですよ。何がプライマリーバランスだ、と思うわけですよ。もう十分我慢しましたよ。今、僕らロストジェネレーションが立ち上がらないで、いつ立ち上がるんですか。なんで上の言うこと聞かなきゃいけないんですか。十分言うこと聞いてきましたよ。僕は…

 

1990年代から「日本の国家財政は危機的状況だ」といわれ、将来世代にツケを遺してはいけないと日本の財務省は常に財政規律主義を貫いてきましたが、30年以上に渡り日本の民間経済活力が衰弱し続け、雇用も不安定化します。国家財政の赤字も当時よりもっと膨張しました。いま1990年代の金融財政政策の失敗のツケを我々は背負っているのです。

 

いまを生きる私たちが将来の世代に遺すべきは優れた”ものづくり”という資産です。過去30年の日本はこれまで高度成長期からバブル時代までに築き上げた”ものづくり”という過去の資産をどんどん潰すようなことばかりをしています。日本の”ものづくり”を弱らせ潰してきたA級戦犯は日銀であり、大蔵省~財務省でしょう。

 

次回も経済学者ポール・サミュエルソンについて取り上げながら、この話の続きをするつもりです。(6/28 予定を変更し、次回は「税は財源ではない」という誤解について述べます。)

 

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