コロナ危機で途切れ途切れになってしまった「将来の予想と合理的期待仮説~補講1~」編ですが、コロナ危機とそれによって生じている経済問題は将来の予想と期待を大きく不透明化します。この連載でわたしたちは常に仕事や生活、企業経営者であれば会社の経営方針を決める上で将来の予想や期待に従って判断し行動しています。モノやサービスの購入計画や企業の事業計画・投資計画はそれに基づいて決まるのです。将来の予想や期待が不透明になること、すなわち不確実性が高まると人々は思い切ってお金を遣ってモノやサービスを買ったり、企業の経営者が事業拡大のために投資して、雇用の拡大や設備の増強、研究開発などを手控えてしまいます。我々は流動性の罠へと引きずりこまれ、生産活動や消費活動を極端に萎縮させ、文明社会を脅かされるのです。

 

不確実性は人類最大の敵、経済活動の敵です

 

コロナ危機は世界全体、全人類を不確実性という悪魔に呑み込ませてしまいました。

この男はまさにアンゴルモアの大王(恐怖の大王)です。

 

キミのお金はどこへ消えるのか」を描かれた井上純一さんは「第2部 第7話「貯金と保険で立ち向かう」という話の中でわたしたちの生活や経済活動を脅かす不確実性について取り上げています。このブログでも「ベーシックインカム構想」編の「不確実性という災厄に立ち向かうベーシックインカム」という話の中で井上さんのマンガについて紹介しています。

 

最近になって「コロナと付き合う」とか「コロナと共存」などという言葉が遣われるようになってきましたが、私はこれについて少々違和感を持っています。「つきあう」というのはいいけれども相手が何者か?正体がはっきりわからない人とつきあうことってできますか?COVID19の正体は未だよくわからないことばかりです。一部の評論家が「BCG接種を受けた人は感染しにくい」とか「日本人は既に自己免疫を獲得している」とか「コロナに感染してもアビガンを服用すれば治る」とか流言飛語を並べていますが、いずれも今の時点ではっきりとした確証が得られておりません。日本で進められてきた「3密」の回避と云われる感染予防策が奏功しているのではないかと現時点では云われていますが、それでも「それらしい」という推論の域を出ていません。感染拡大予防策や経済対策についても手探りで模索し続けているのが今の状況です。

 

経済学者のフランク・ハインマン・ナイトは将来起きうる出来事をその発生確率が予め計算できるRisk(リスク)と、まったく確率計算が不可能なUncertainty(不確実性)に分けられるということを唱えていました。これを「ナイトの不確実性」と言います。

リスクの例は交通事故とか人々が将来癌にかかる確率などです。保険会社は加入者のうち何%が病気に罹ったり事故に遭うのかという確率を計算して保険設計を行います。公的年金や公的医療保険も同じです。日本年金機構などがやはり確率を計算して保険料や給付額を決めています。

一方不確実性の例を挙げると、今回のコロナ危機とか、隕石衝突とか、カルデラ噴火(破局噴火)、東日本大震災のときに発生した東電・福島第一原発事故みたいな状況です。発生の予測が極めて困難な事象です。これに対応した保険商品を組むのは不可能でしょう。企業や個人がそれに備えるなんてことは完全に無理です。というかこんな危険性についてまで思い煩って生活することなんかできません。今回のコロナ危機の発生を昨年2019年に予想していた人がいるでしょうか?それができたら超能力者かノストラダムスです。

 

ナイトは不確実性について決してネガティヴなものばかりに捉えていなくて、むしろ誰も予想せず掘り当てていない金脈とかチャンスという見方をしており、気鋭の起業家たちはその不確実性に挑んで莫大な利益を獲得しているなどという話をしているのですが、今回は「予知できない危険性」という意味で不確実性の話を進めていきます。

 

今回のコロナ危機は一般個人のみならず、巨大資本の民間企業でさえ貯蓄や保険、内部留保(利益剰余金)の積み立てで対処しきれないほど、広範かつ大規模な災厄です。しかも先の見通しが立たない状況が何か月、いや一年以上続くかも知れず流動的です。いまの日本では一見感染拡大が収束しているかに見えますが、いつ暗転するかわかりません。そういう意味で厄介です。最終的に経済損失がどれほどの規模になるかも予測できないので、個人や一民間事業者が対応できる範疇を完全に超えてしまっているといって過言ではありません。

 

いったいどれだけの規模の経済損失になるのかわからないとなりますと、打てる手は政府もしくは中央銀行がお金をたっぷり蓄えておくしかないのです。川の上流にダムを造っておいて、そこに水を溜めておくことで各家庭や農業・工業事業者が水不足を心配しなくていい状態にしておくということです。

 

お金のダムに相当するものは何かというと、金融政策面で言いますと中央銀行による準備預金(マネタリーベース)の積み上げであり、財政政策面で言いますと、安倍内閣の第2次補正予算でも出てきた予備費10兆円になります。

 

日銀内にある民間銀行用の当座預金口座に融資用のベースマネーがたっぷり積み上げてあるということは、銀行などがいまのコロナ危機で資金繰りに困っている民間事業者に積極融資したり、リスケジュールに対応することが可能になります。

一方財政の予備費についてですが、これについても感染拡大第二波が訪れて再度休業補償や現金給付を行わないといけないような状況になったとき、いつでも対処できます。現金給付のときに財務省の横やりが入ってゴタゴタを起きましたが、そうしたことを回避できます。

 

あまりに巨大な不確実性という”恐怖の大王”に立ち向かうには国家や中央銀行が先頭に立たざるえません。

こうした発想に対し「社会主義的だ」と思う人たちが多くいますが、そうではないでしょう。むしろ私は社会主義の腐敗がもたらした破壊の津波から自由主義経済を護るための防波堤だと思っています。

 

今回の記事は不確実性についてネガティヴに解釈して書き進めましたが、上で述べたようにナイトは必ずしもそういう意味でUncertaintyというものを捉えていたとは思われません。むしろUncertaintyは儲けのチャンスなのだという見方をしていたようです。「ピンチはチャンス」というのがナイトが提唱したかったことではないでしょうか。次回はそのことについて。

 

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