ここ数回ほど同じような説明を繰り返していますが、今回も経済(金融)危機と量的金融緩和政策の話をしたいと思います。

 

2012年末に第2次安倍政権が発足したあと、経済政策の目玉として導入された異次元の金融緩和政策の一環として本格導入された日銀による国債やリスクの高い証券などなどの積極買受と、銀行が民間企業や個人への融資に遣うための準備預金(マネタリーベース)を高く積み上げる量的緩和政策を実施しました。黒田東彦日銀総裁の名をとって「黒田バズーカ」と話題になったものです。

これは小泉純一郎政権時代のときにも当時日銀審議委員の一人だった中原伸之氏がジョン・テイラー教授の助言に従って導入したものであり、2007年にアメリカでサブプライムローンの焦げ付きが発端ではじまった金融危機の対応にも当時のベン・バーナンキFRB議長が積極的な信用緩和を行って乗り越えました。

そして今回のコロナショックでもアメリカのパウエルFRB議長をはじめとして、EUの中央銀行であるECBが積極的な国債などの債券買受を再開しています。

 

世界金融危機以降、アメリカや日本などでは中央銀行内に設けさせられている準備預金を振り込む民間銀行用の当座預金口座に呻るほどのベースマネー(準備預金)が積み上げられてきました。こういう状態を「ブタ積み」と称する論者もいます。まるで巨大なダムに蓄えられた水のようです。

自分も含めてですが、俗にいうリフレ派を名乗る経済アカウントは黒田総裁が量的金融緩和を渋るような態度を示すたびに「もっとカネ刷れ~」「マネタリーベースを積め~」と叫んだものです。

 

しかしその一方で日銀国債買受で発生したマネーをいくら日銀内の当座預金口座に積み上げても、市中へ出ていかないじゃないかと批判する者たちも大勢出てきました。的外れな批判ですが池田信夫氏のように「マネタリーベースを増やしても市中のマネーサプライが増えないからリフレ失敗だ」と言い出したり、三橋貴明氏らのように日銀国債買受で発生したマネーを政府が財政支出というかたちで直接市中にばら撒いた方がいいじゃないかと主張する声も出ています。

*上のようなグラフで「マネタリーベースを増やしたのにマネーサプライが増えない」というのは間違いです。その説明→「マネタリーベースとマネーサプライの関係

 

いつも使う模式図ですが中央銀行による国債の買受とそれによる新たな現金の発生(財政ファイナンス)の流れと民間銀行が投資を行う民間企業や個人にお金を融資し、それに伴って日銀内の当座預金口座に積まれたベースマネーが市中へ流れていく構図を簡略的に説明したものです。

 

 

私は上の図でいえば下の流れ、すなわち民間企業の経営者が積極的に研究開発や設備増強、雇用拡大というかたちで投資を、一般個人が住宅やクルマなどの購入といったかたちで積極的にお金を遣うように促し、積まれたベースマネーもどんどん市中へ融資という形で流れていく状況をつくっていくべきだと説明してきました。

 

しかしながら政府がお金を国民に直接バラ撒いてやることを望む人たちは、リフレ派のいうような主張をまどろっこしいと思うようになり、上の図の右上みたいな流れで財政ファイナンスで生んだマネーを市中へ流すべきだと主張します。三橋貴明氏や中野剛志氏だけではなく井上智洋氏や森永卓郎氏も「日銀当座預金に積まれたベースマネーを国民に直接ベーシックインカムというかたちで配ってしまえばいいじゃないか」などと言っていたりします。

 

 井上智洋さんと森永卓郎さんの貨幣供給に関する認識のまずさ

 

しかしながら日銀副総裁を務められていた岩田規久男さんは

「多くの人が誤解しているが、マネタリー・ベースの持続的な拡大によるデフレ脱却は、中央銀行がばら撒いた貨幣を民間がモノやサービスに使うことから始まるのではなく、自分が持っている貨幣を使って株式を買ったり、外貨預金をしたりすることから始まるのである。」

 
「貨幣供給が増えても雇用や設備の稼働率に依存するため、ただちには物価が上がるとは限らず、"「単純な貨幣数量説」は成り立たない」

「単純な貨幣数量説」が成り立つのであれば、貨幣供給を増やしても、物価が上がるだけで、生産も雇用も増えない」

 

という説明をされています。

 

私も現在はお金を市中に大量にばら撒きさえすれば景気がよくなるというものではなく、企業や個人が積極的にお金を遣って動かさないと経済活動は活発にならないのだという主張を採っています。お金をたくさん刷っても企業が内部留保として、個人が貯金として貯め込んで死蔵したままでは意味がないのです。

 

そうはいっても実際に民間企業や個人が投資したり、銀行が彼らに融資する額をはるかに超えるようなベースマネーを何十兆円(日銀は80兆円を目途にしていた)も積み上げることに疑問を持つ人が少なくないかも知れません。しかしながら私は今回のコロナ危機でその重要性をさらに強く認識しました。

 

今回のコロナ危機によって受けた民間企業や個人の経済的損失はどれだけの規模になるのか不明です。あちこちの民間企業が巨額のキャピタルロスを被っていますが、困ったことにそれが今も拡大中なのです。台湾・韓国、そして日本において既にコロナウィルスの感染拡大は一見収束しつつあるかに見えますが、感染の再拡大が訪れるかも知れません。ワクチンや特効薬がまだ発見されていないいまの時点において今後の動向を見定められない不確実な状況が延々と続きます。となると我々はいくらのカネを用意していかねばならないのかわからないままです。半年とか一年操業が停止し、売り上げが激減したままでも持ち堪えられるだけの資金を蓄えている会社や膨大な資産を持っている個人ならともかく、相当の割合の民間企業や個人が資金や資産の食い潰しをしないといけないことになるでしょう。いまわれわれは無限大のリスクを背負っています

 

民間企業や個人にお金を貸し出している銀行も不良債権を抱えるリスクが現在進行形で膨張し続けています。銀行にとって最も恐るべき事態は大量に不良債権を抱え込みすぎて、経営破綻の噂が流れて、自分が預けたお金を下ろせなくなってしまうと不安になった預金者が殺到して取り付け騒ぎを起こしてしまうことです。もともと銀行はすべての預金者の払い戻しに応じられるだけの現金を持ってはいません

普段は銀行と銀行同士がお金を融通しあったりして、預金の払い戻しや大型融資に対応したりしていますが、リーマンショックやコロナ危機のように金融業界全体が大きな経営危機リスクを抱えてしまうようなときには、中央銀行の出番となります。そこで生きるのが大量の準備預金ベースマネーの積み上げです。中央銀行が民間銀行の当座預金に大量の準備預金が積まれれば預金不足になってしまう恐れが減ります。量的金融緩和政策は民間銀行が準備預金不足になるのを恐れて資金の貸し出しを渋ってしまったり、民間企業や個人から融資を引き揚げてしまうような事態を防ぎます。

 

先に大量に積み上げられたマネタリーベースはダムの水と同じだと形容しました。

もし仮に降雨量が著しく少ないなど異常干ばつが発生してダムに貯めてある水の量が枯渇しかけているとしましょう。そうなってしまうと下流に住む稲作農家や大量の水を使う工場、そして各家庭は水不足を心配しないといけません。恐慌というのは異常干ばつと水不足状態のようなものです。

もし大型のダムがあって、そこに大量の水が蓄えてあったとしましょう。それならば各家庭が節水をしたり、農家や工場が水不足で減産を懸念することは無くなります。

2013年以降日銀は大量のお金を蓄える大型のダムを建造しました。黒四ダムならぬクロトンダムです。ダムに蓄えられている水を全て発電や農業・工業などの生産活動、各家庭の生活用水として活用するというわけではありませんが、大型のダムに水が蓄えられていると水不足や電力不足にならないという安心感が得られます。

ダムは取水ゲートを開けたり閉めたりするなどしてダムの水位や下流への放水量を調整しますが、これに相当するのが金利設定です。

逆にいえば川に大量の水が流れ出し氾濫してしまうような状況は異常な景気過熱やハイパーインフレですが、それを防止するのもダムの役割です。

 

 

度々申し上げてきたことですが、サブプライムローンショック・世界金融危機や長年の日本のデフレ不況に対処するために各国中央銀行がマネタリーベースをドカ積みするような量的金融緩和政策を大胆に実施してきたことが、幸いにも今回のコロナ危機のクラッシャブルゾーン(緩衝帯)として機能しています。もし各国中央銀行が発券銀行として大量のマネーを刷って大量の国債や債券の購入をしたり、準備預金の積み上げをしていなかったら、金融機関の経営破綻や取り付け騒ぎ、そしてさらなる民間企業の資金繰り悪化という事態を招いていたことでしょう。

 

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