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「ふー、何だったんだアレ、老人将棋愛好会か何かか?」
名刺でいっぱいになったポーチをぱたんと閉じて優貴は翔を振り返った。
「あれ、お前何やってんの?」
翔は目を真ん丸にさせて後ろの柱にへばりついていた。
「ゆ、優貴…前の前の総理大臣が居た…、あとテレビに出てた人が何人も…」
彼が優貴のドレスをぎゅっと掴む。
「おー、良く知ってんなあ。ちょっと、何よその手は!お前びびってんの、もしかして?」
「だってだって…あんなすげえ偉い大人達がみんなして優貴に頭下げてきてさ…」
「テレビに出るのが偉いならのび太だって偉いっしょ。大体テレビくらいうちの親父だって出てるし翔の父ちゃんだって出る事もあるんじゃね?らしくねーなあ、まあ酒でも飲んで落ち着けよ」
「優貴、あと、優貴の父ちゃんがさっきからすごい目で睨んでたよ」
「ああ、奴らばあちゃんの知り合いっぽかったからねぇ、狸親父的には欲しい人脈、幼稚園児に持ってかれて悔しさ爆発ってとこじゃん?」
優貴はワイングラスを載せたトレイを持って通りすがったウェイターを呼び止めて「二つ頂戴」と若干横柄に命じた。組で一番背の高い二人だがどう見てもせいぜい小学生、ウェイターは迷ったがここは未成年者の飲酒が固く禁じられているカラオケや居酒屋ではない。権謀術数渦巻き札束の雨が降るパーティー会場である。彼は黙って白ワインを二つ差し出した。
「有難う」
にっこり笑ってウェイターのポケットに札を突っ込む優貴は抜け目が無い。ごちゃごちゃ言う奴も言うので黙って持って来てくれる奴をキープしておくに越した事は無いのだ。
「おお、美味っ」
「マジ?あ、ほんとだー!てかさーあ、翔、ゆいたいんだけどー」
「おおう、何だ?ドレス掴んで悪かったよ、皺になったとか?」
「下らんドレスなんかどうでもいーい!お前あたしの一の子分なんでしょ?違うの?」
「そうだけど…?」
「だったらあたしに頭さげてぺこぺこしてったさっきのじじいどもより、お前、立場、上って事よ?そこんとこ、わかってる?」
翔はぽかーんとした。優貴は更に言葉を重ねる。
「こんな事ゆーの、今日だけだよ?今後、一生、絶対ゆわねーから、よーく聞けよ?あのね、あたしが居なかったら天才ってゆわれてたのはきっと、翔だよ。小、中、高と進んでけばいずれ解るって。そんでいずれはあの辺で日本を回してく役になるんさ。ただし、お前がそれを望めば、だけどね」
優貴は暖炉の辺りを指差した。彼女の父を始め先程の老人達、いずれもテレビや新聞で見慣れた顔が談笑している。
「日本を回す…?!」
ごくりと唾を飲み込んで、それは具体的にどういう事なのか想像してみる翔に、優貴が瞳をきらきらさせて悪戯っぽく迫ってくる。
「ねーねー、翔は将来どーしたいのー?やっぱ、『如月』を継ぐのー?卒業文章の下書きの、『将来の夢』に『お婿さん』とか書きやがってよお、てめーはオンナかよ?ああっ?」
「『如月』も親父も、オレ的にはどーでもいいんだよなあ…。てか優貴って、やっぱすげーのな。何だ、その、『日本を回し』てる奴らと、たいとーに、しゃべってんだもん」
「ええっ?あたし別に、将棋とチェスの話してただけじゃん?じじいらの権力争いなんか、浜小と鈴小の縄張り争いの百分の一も興味ねーし」
「……」
(だから、放っておけないんだよっ…!)
『優貴は頭脳の割に肝心な所で抜けている』
…この事実を知っているのは多分自分だけだろう、と思う程に、自分がしっかりしなきゃ、という気持ちに彼は否応なくさせられた。優貴は知能年齢は大人だが、精神年齢が全くそれに付いて行っていない。
一方で両親共働きでしかも両方共肩書きは社長、姉・兄とも歳が離れていて双方家には寄り付かないどころか札付きの不良であり、そこでただ一人の『鎹(かすがい)』の万事両親の期待に応えてきた(彼としては実のところそれは全て優貴に張ってゆきためだけであったのだが)秀才として家族を纏めてきた、気働きだけは些細なところまで完璧に出来てしまう翔は、精神年齢的にはかなり早熟だといえた。
「ああ、まーな。てか、俺にも今度将棋教えろよ。駒の動かし方くらいは兄貴に教わって分かるけど、兄貴は弱すぎるし、あんまやった事なくってさ」
「わー!マジ?対戦してくれんの?最近ばあちゃん以外の対戦相手いなくて困ってたんだあ。けど、あたし手加減なんかしてやんねーからなっ」
「おお!上等だ、こないだのハイキックの借りを王手で返してやるぜ!」
翔の挑戦に優貴は再び極上の笑みを刻んだ。パーティー用の笑顔とは全く別物の、かと言ってあえて無邪気を装っている訳でもない、それは紛れも無い、彼女の本気の笑顔であった。
「…んで?」
白ワインをくいーっと飲み干して、バイキング形式になっている料理と、酒をトレイに載せてうろうろしているウエイターの間で視線を彷徨わせながら優貴が問う。
「まだ聞いてなーい!翔、お前の将来の夢!」
「優貴、お前、もしかして酔ってるだろ…?」
「酔ってなーいっ、ないったらなーい!さっさとゆわないとビービ―弾百連射祭り!」
何だよそのとてつもなく物騒な祭りは…、と苦笑しながら翔は答える。
「その言い方がすでに酔っぱらってるっぽいんだけどなあ…、いーよ、云うよ。俺の将来の夢は…」
「…夢は?」
「『チーム優貴』の、サブリーダー!!」
「はあっ?あんたアホ?一生ビービ―弾撃って過ごしたいワケ?」
「誰もそんな事、言ってねーだろ」
翔は苦笑して、通りがかったウエイターにソフトドリンクを頼もうとしたら、優貴の、「白ワイン、グラスでふたつ!」との声に遮られてしまった。
「俺は、今も将来も、優貴のサブリーダーで居たいんだよ。優貴が国会議員になってお父さんみたく総理を目指すなら俺は秘書になる、もしうちの父親みたいに社長になるなら俺が副社長になる。優貴の、隣に居たいんだよ!俺は!今更、ダメとかゆーなよな。俺よか優秀なヤツなんか、さっき優貴自分でゆっただろ、そうそう居ねぇんだからっ」
「あ、初めまして」
途端にガキ大将の素顔からお嬢様の仮面を纏った優貴はそつのない応対をする。
「経済界の今をリードする方からのわざわざのご挨拶、身に余る思いでございます。こちらこそ…、でも、お父様はあちらですよ。わたくしから、ご紹介いたましょうか?」
「いやいや」
大男は苦笑、とも何とも言えない笑顔を刻んだ。
「わたくしは真理様と将棋仲間でしてね…、優貴様が真理様より、お強いかもしれないと真理様からお聞きして、これは是非に、とご挨拶にお伺いしただけです。いかがですか、いずれわたくしと一局」
「はあ…」
優貴の頭脳はくるくる回転する。おそらく、この男は嘘を言っている訳ではあるまい…、それは、六歳にしてひとを見過ぎる程見てきた彼女の、本能で、判る。そしてかれの、自分の祖母との繋がりが深い事も。
(ばあちゃんは、やっぱし、なかなかどうして只者じゃねーな…)
「わたくしなどでよろしければ」
優貴はにっこり微笑んでみせる。天使の笑顔、と、周りがほめたたえる微笑。
「けれど、わたくしとおばあさまとは、今はもう互角なので、油断なさいませんことよ、柴崎社長」
「…あはははは、こりゃまいった、さすが真理様の見込んだ華京院の…」
「それで」
豪放磊落に笑うかれの笑顔を、優貴が遮る。
「勝負、っていうものはそれだけのモノを、賭けてやるものですよねえ?社長?貴方は何を賭けます?わたくしは、何を賭ければ、よろしいのですか?」
場は一瞬、しいんとなった。優貴の挑戦的にきらめく瞳と、酸いも甘いも噛み分けた『茅場町の鉄人』、柴崎の瞳が一瞬火花のように交錯する。
「うわっはっはっはっはっはっは、これはこれは、お嬢ちゃま」
「なんで笑うんですかっ?」
「俺が、負けたならば、何でもひとつ、君の言う事を聞こう―この日本で、金の力で動かせない事は、そうそう、無い―のでね。しかし君が負けたら…」
「あたしは誰にも負けません!」
優貴は高らかに言い放った。すでに天下無敵のガキ大将の素がほぼ見えてしまっている。
柴崎は髭の下で微笑んだ。
「いつも、君が、そうである事を祈るよ。お姫様。…しかし、この条件だけは、覚えておきなさい。私は、君に負けたら、ひとつだけどんな事でも君の言う事を聞く、とね。ただし、それは反対条件次第にもよるが…おお、怖い怖い、君のお父上がこっちを睨んでいる、私はここらで退散するとしよう、良かったら受け取ってくださいませ、私の名刺ですが、いつか役に立つこともあるでしょう」
一礼して去って行った柴崎の後に、優貴の周りには今をときめく人間の輪が出来ていた。
「先程はお見事でしたよ、流石華京院の後継者のお嬢様…華京院先生と懇意にしていただいいております、菱形商事の山形と申します」
「あ、わたくしは○○弁護士事務所のパートナーの秋山です、是非お見知りおきを」
「初めまして。私は東京地検特捜部の大内と申します、どうぞ宜しくお願いいたします」
「お嬢様、お初にお目にかかります、わたくしは財務省の事務次官の桑畑と申しまして…」
優貴がマナー通りに丁寧に受け取る名刺があっと言う間に増えてゆく。と、ある事に思い当たって彼女はふ、と苦笑した。
(うっわ…、三権分立どころか三権集合しちゃってるよ!この手の中に)
優貴の胸が思わずときめく。
(何だろう、この感じ……)
「こんばんは。先程柴崎社長からお話があったとおもいますが、うちのグループは社長の代から身を起こして一部上場してもう五年でしてね、お嬢様が株に興味がおありだと、真理様からお聞きしましたのですけれど、事前に情報を流す事も幾らでも…」
「インサイダー取引に興味はありません!」
優貴の声は相変わらず凛と響く。
「おばあさまはおばあさま、私は私よ!取り入るなら、その先を間違っているわ、おじさま方。あの暖炉のあたりの、狸親父の前をうろちょろしてた方が時間のロスじゃあ、ないんじゃなくって?」
その次の声は流石にひそめられていたが、柴崎の部下を慌てさせるには充分な効果があった。
「いやいやとんでもない!私達は修三氏では無くて、貴女にご挨拶に伺っているのですよ、『裏華京院』の正当な後継者たる…」
隣の大内が慌てて小声で止めたが、優貴の耳はそれを聞き流さなかった。
「おい、それはこの方にはまだ伝わってない筈だ」
(『裏』…?『後継者』…?何だろ?ばあちゃんにあって狸が継がなかったモノ…まあいっか、後で考えよー)
「それで、皆様もおばあさまの、将棋仲間でいらっしゃるんですか?わたくしは最近、チェスも好きですけど」
彼女は虫も殺さぬ歳相応の笑顔で尋ねる。
「おお、チェスなら自信がありますよ」
弁護士の秋山が嬉々として乗ってきた。
「おい、この悪徳弁護士め。チェスは本来正義の味方たる検察官向きのゲームだぞ。俺の華麗なキャスリング・ターンに手も足も出なかった癖に、何が自信だ」
大内がすかさず口を挟んだ。どうやら弁護士と検事のふたりは元々の知り合いらしい。
「取った駒を自陣で使うあたりが将棋の気に入らんところだ、いくら真理様がお好きでもどうもここだけは譲れねえ…、どっかの法律ゴロならやりそうだがな」
続けた大内の物言いが面白くて優貴はつい口を挟んだ。
「あら、わたくしは使えるものなら何でも使いますけど?諺にもあるじゃあ、ありませんか、立ってるものは狸でも使え、って」
暖炉の方にちらっと一瞥を向けて言う。
これには、狸、が差すのが誰だか一瞬にして分かってしまっている一同、大受けであった。溜飲が下がったらしい秋山に至っては腹を抱えて笑ってしまっている。
「ゆ、優貴お嬢様、貴女と本気で対戦してみたくなってきました」
はーはーと笑いながら大内が言う。
「たまに真理様の離れに皆でお邪魔していますので、今後は是非ご一緒に」
「こちらこそ、楽しみにしております、先生」
と、そこで、レディ・マサコのスピーチがあるというアナウンスがかかった。
一同はみな一礼して名残惜しげに優貴の傍を去ってゆく。
(いろいろ、忙しい日だなあ、今日は…でも、みんな面白そうな奴だったな。)
彼女は手のひらの名刺を見返して名前と顔と職業、ついでに連絡先を頭に叩き込んだ。