(続き)
トルストイと同時代の日本の作家にとって、初めてのセックスの相手が家の女中だったとしても、その後の相手は、大半は遊郭の娼婦になっていく。
白樺派の文豪・志賀直哉(1883~1971年)の放蕩は、代表作『暗夜行路』の前篇の終りで、女郎の乳房を揺振って、「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ場面に行きつく。しかし志賀直哉の行為は、次の啄木の行為と比べるとよっぽどまともである。
歌人・石川啄木(1886~1912年)は、23歳の日記(『ローマ字日記』)に、浅草で18歳のインバイフを買ったときのことを、次のように記している。
「女はまもなく眠った。予の心は たまらなくイライラして、どうしても眠れない。予は 女のまたに手を入れて手あらく その陰部をかきまわした。しまいには 5本の指を入れて できるだけ 強くおした。女はそれでも 目をさまさぬ:恐らく もう陰部については なんの感覚もないくらい、男になれてしまっているのだ。なん千人の男とねた女! 予は ますます イライラしてきた。そして いっそう強く手を入れた。ついに 手は手くびまで入った。“ウーウ、”といって 女はそのとき目をさました。そして いきなり 予に抱きついた。“アーアーア、うれしい! もっと、もっとーもっと、アーアーア!”18にして すでに普通のシゲキでは なんの面白みも感じなくなっている女! 予はその手を 女の顔にぬたくってやった。そして両手なり、足なりを入れて その陰部を 裂いてやりたく思った。裂いて、そうして 女の死がいの 血だらけになって やみの中に よこたわっているところを まぼろしになりと 見たいと思った! ああ、男には もっと残酷なしかたによって 女を殺す権利がある! なんという恐ろしい、いやなことだろう!」(『ROMAZI NIKKI』1909年4月10日、桑原武夫編訳、岩波文庫)
《たわむれに五本入れたらそのあまり手くびまで入りて抱きつかれぬる》――偽作。
啄木はこのとき北海道に妻子を残して、作家活動のために上京していた。
都会の中産階級、あるいは知的上昇を志向する青年たちにとって、女中も娼婦も、結婚の対象でなかったばかりか恋愛の対象でもなかった。もちろん例外はある。二葉亭四迷の最初の妻は、貧民救済のために貧民窟で知り合った娼婦だったし、志賀直哉は女中と結婚しようとして父や親族に反対された。しかし、一般に性欲と恋愛は別ものであり、淫慾(劣情)と純愛(プラトニック・ラブ)と名づけられるまでに分離していく。
純愛という愛の観念、あるいは観念の愛は、明治以前の日本人の知らなかったものだ。江戸時代までの「色好み」は、性の対象と恋の対象を区別して性の対象を一段低く見るなどいうことはなかった(のではないか)。同じ遊女が性の対象でもあり恋の対象でもあった。遊女の側からはすべての客が性の対象でもあり、恋の対象でもあるということはありえなかったが。
明治以降でも、村落共同体では、男の子の初めてのセックスは「筆おろし」という公認の制度で保証されていたし、夜這いの慣習もあったこと、マチの貧街窟でも、中産階級の性倫理とは異なる性慣習があったことは、赤松啓介(1909~2000年)が自らの体験から伝えるところである。
こうした前近代の性慣習や「色好み」からみると、近代日本の性愛観は倒錯している。
作家・田中英光(1913~1949年)に『オリンポスの果実』(1940年)という小説がある。第10回ロサンゼルス・オリンピック(1932年)にボート競技の選手として出場した主人公(=作者)は、太平洋の行き帰りの選手団の船で知り合った女子走り高跳びの選手への恋情を高めていく。帰りの船のデッキで2人きりになると‥‥
「さて、ぼくは、あなたの傍のデッキ・チェアに坐り直してはみましたが、やはり、烈しい羞恥にいじかんだような、堅いあなたの容子をみていると、ぼくも同様あがってしまい、その癖、意地悪いうちの連中がやってきて、なにか言うなら言え、とそのときの糞度胸はきめていたのですが、愈々話をする段になるとなにから話そうかと切りだす術をさがして、ぼくは外見落着きを装ってはいるものの、頭のなかは火のように燃えていました。
と、自分の靴先きをみるともなく見詰めていたぼくの瞳に、あなたの脚が写ってきました。海風が、あなたのスカアトをそよと吹く、静かな一瞬です。短かい靴下を穿いていたあなたの脚に生毛がいっぱいに生えているのがみえました。そのときほど、毛の生えた脚をしているあなたが厭らしく見えたことはありません。
男は女が自分に愛されようと身も心も投げだしてくると、隙だらけになった女のあらが丸見えになり堪らなく女が鼻につくそうです。女が反対に自分から逃げようとすればするほど、女が慕わしくなるとかきいています。そこに手練手管とかいうものが出来るのでしょう。
ぼくは羞恥に火照った顔をして、ちょこんと結んだひっつめの髪をみせ、項垂れているあなたが、恍惚と、なにかしらぼくの囁きを待ち受けている風情にみえると、再び毛の生えたあなたの脚がクロオズアップされ、悪寒に似た戦慄が身体中を走りました。
ぼくはそれ迄あなたへの愛情に、肉慾を感じたことがなかった。然しこの時、あなたの一杯に毛の生えた脚の、女らしい体臭に噎せると、ぼくはぞっとしていたたまれず、「熊本さんは肥りましたね」とかなんとか、あなたの萎れを気づかっていたつい最前の自分も忘れ、お座なり文句もそこそこに、立ちあがると逃げだしてしまいました。海を眺めに行ったのです。あとに残ったあなたの淋しい表情が、形容のつかぬ残酷さで黙殺できると同時に、あなたの、やるせなさそうな表情は心に残った。ぼくは自分を勝手だとおもいました。膨れあがった海をみながら――。」(『オリンポスの果実』1940年)
相手に愛情を感じていたが、肉欲を感じたことはなかった、肉欲を感じてその愛が醒めた、と書いてある。これ自体が「純愛」という近代が生んだ観念の行きついた果ての倒錯と思えるが、さらに次のように書いてある。うぶ毛の生えた脚をしたあなたがいやらしい、と。つまり、うぶ毛に肉欲を感じたらしい。書いてあるから、作者にとっては真実なのだろうが、江戸時代(とは限らないが)の遊郭では、女性は襟足の産毛を剃り白粉を塗った。色欲を感じさせるべき遊郭で、産毛は色欲を醒めさせるものだったようだ。今でも若い女性が脚のムダ毛処理をするのは、ムダ毛がセクシーで男性を性的に魅惑するからではなく、その逆だからだろう。田中英光のように、うぶ毛を見て女らしい体臭をむせるというのは、よっぽど田中がウブだったのか、時代が禁欲的だったのか。
つまりこういうことだろう。産毛という自然(リアル)は、純愛の対象への愛を醒めさせるだけでなく、色欲の対象への助平心をも醒めさせるということでは、純愛が観念(ヴァーチャル)であるように、色欲もまた、性本能という自然の直截な発露ではなく、どういう媚態が色欲の対象になるかという点からも文化的な所産であり、純愛とは別の一つの観念(ヴァーチャル)である、と。
それにしても、女性の脚のうぶ毛を見ただけで、愛が一気に醒めて悪寒に似た戦慄が身体中を走った、というのは常軌を逸し過ぎていないか。百年の恋を冷ます屁一発もあるが、うぶ毛で戦慄、というのはね。2次元にしか萌えないどころではない。自分の観念の愛にしか萌えないのだ。リアルを基準にすれば、いっさいの観念(ヴァーチャル)は倒錯だろう。性交というリアル・セックスから観念化された純愛も好色も倒錯(ヴァーチャル・セックス)なのだろう。
男がリアルなヴァギナに醒めてしまい、ヴァーチャル・セックスを追い求めているとしたら、リアルなヴァギナに醒めず、恐れず、自らもリアルに(つまり、生で)その中で射精するとしたら、それこそが「初めてのセックス」であり、「初めてのリアル」だろう。その先には、別のリアル、妊娠・出産・育児が待っている。