拙者が役者であるということ | 後藤勝徳の「宇宙は私で満ちておる」

拙者が役者であるということ

とはどーゆうことなんじゃろ
俺は黙って家業を継げば次期社長の座がまっとって、長男じゃけん
家も土地もある身じゃった
でもそれを何の躊躇もなく捨てて出てきた。
所謂故郷を捨てた男。非情かね。勿体無いかね。
親の敷いたレールが嫌とか、そんな気持ちもなかった。

よく誰かに「何で役者になろうと思ったの?」って聞かれるけど
俺は他の人にそんな質問したことないけん分らんけど
理由はとんと思いつかん。誰かにあこがれたとか、あの作品に
感動したとか、そんなはっきりしたものは全くない。
ましてや、前にもどっかで言ったかも知れんけど
「人に感動を与えたくて・・」なんか
そんな実力がついたと自分で納得するまでは
死んでも言いたくないわ、薄ら寒い!!

つまり、この仕事に就くことが生まれながらに分っていた。
とかかっこよく言えば「天命」とか。そんなちょっと説明しづらい
理由しか思い浮かばん。故郷を出てくる時も、その気持ちに従った
だけで、それこそ自分のレールの上を走って来ただけ。

自分に対する確信とか自信って、そーゆうある種第6感的な所
から来るものも大きいんじゃないかなぁ。

でもって俺は、もし俺が自分の力で自分の夢をかなえられん程度の
男でおめおめと実家に帰ってきて家業を継ぐぐらいなら
指切り落として使えんようにしてやる(家業は建設業、つまり大工なので)
と産んでくださった大切なお母様の前で親不孝にも聞こえる決意表明
をして何のコネもない東京に出てきたんよ。
じゃけん正直、実家でぬくぬくしながらチンタラ役者目指しとる
やつらはイライラするときはある。
けど、そこはまぁ気にしてもしかたあるめぇ、所詮は他人事。
俺の師匠の言葉で好きなのが、「俳優は自分勝手でいろよ!」と。
これアホな奴らが意味を間違えて取るとトンでもない事になるけど
それは、いろいろ補足の意味があるけんそのまま受け取るなよ。

で、まわりの人々や環境に恵まれて、ありがたくも忙しい毎日を送らせて
いただいとる。たくさん新しい仲間も増えたし、聞いて励ましてあげる事
しか出来ん様な悩みを抱えとる仲間もいっぱいおる。
それは俺があんまり悩みを感じない人間なせいもあるし、俺が恵まれとる
けんその子らの気持ちがほんまには分かってやれんせいかもしれんが。

とにかく忙しさにも1段落ついて周りを見渡すと、実は辛い時に一緒に
おって励ましてあげたり出来んかった友達がおるんよな。

ほんまごめん。

忙しさを理由にする気は全くない。

そこで本題に戻るわけじゃけど、役者は親の死に目にも会えんとは
よう言うたもんで、俺はその考え方は好きじゃないけど、状況は
理解できて怖い。

親の死に目にも会えんのじゃけん、悲しみにくれる友のそばで
一緒に酒を呑んでやる事もできるわけねぇか・・・。

それが・・・悔しい。

これは悔しい・・・。

・・・そんな覚悟でBDDHに出てきたはずじゃったんじゃけど

実際、悔しいのう・・・。

いやこれは弱音じゃない。
俺は誰かに弱音を吐けるような素直な人間じゃないけん。

ん~なんちゅうかなぁ・・新たな決意表明?
もっと器のビッグな男になって、そんな定説や常識は
わしが覆してやるぁぁぁぁ!!!!て事が言いたかったんかな?
ちょっと違うかな?

ん~ほんまによう分からんけんやめた!!
だいたいそんな事、気にするなって言ってくれるような
仲じゃぁぁい!!
        はい!! 解決!!!!