大日本帝国海軍、伊勢型航空戦艦一番艦「伊勢」
宇宙戦艦ヤマトにハマって、熱が冷めるまで竣工寸前にて建造を中断していた航空戦艦「伊勢」がようやく竣工いたしました。
伊勢と妹の日向が航空戦艦と呼ばれる由縁は、艦尾の形状にあります。
見ての通り、普通の戦艦にはあり得ない物…広大な「航空作業甲板」が据えられて、その前方には大型のカタパルトが2基、装備されています。
これこそが、航空戦艦たる由縁です。
ご存知な方が多いと思いますが、元々「伊勢」型“戦艦”にはこんな航空作業甲板はありませんでした。
画像で航空作業甲板が据えられている場所には当初、戦艦の命である主砲35.6センチ45口径連装砲塔の五番、六番主砲塔があったのです。
35.6センチ45口径連装砲6基もの強武装とケースメイト式に配置された14センチ単装副砲が16基、12.7センチ連装高角砲4基が元々の伊勢型の代表的な兵装です。
しかし、ミッドウェー海戦での大敗北によって伊勢型戦艦を取り巻く状況が一変しました。
大型正規空母が翔鶴型2隻のみという事態に日本海軍は大きく取り乱し、大和型戦艦を除く全ての軽巡洋艦以上の空母への改装を検討。
建造中の大和型戦艦3番艦「信濃」も装甲空母として建造を再開。
そんな中で伊勢型が選ばれたのは…大和型・長門型は米新鋭戦艦群への切り札であり、金剛型高速戦艦は機動部隊の直衛で活躍中なので論外。
たまたま、主砲の爆発事故で5番主砲塔を失っていた日向を含む伊勢型が選ばれたのです。
当初、本格的な空母化や3番主砲塔以降を撤去して飛行甲板にする案などが提案されましたが、資材・時間の制約で5・6番主砲塔撤去後に空いたスペースを航空作業甲板とする事に決定しました。
改装成った伊勢型航空戦艦2隻は昭和19年6月の天下分け目の艦隊決戦マリアナ沖海戦には搭載機の整備未了で参加出来ず。
マリアナ沖海戦後に634空の彗星艦爆8機、瑞雲水爆(水上爆撃機の略で、決して水素爆弾じゃないですよ(笑))12機が配属され、伊勢型航空戦艦は本格的に稼動し始めました。
ちなみに、航空戦艦化する過程で14センチ単装副砲群は全て撤去されて逆に12.7センチ連装高角砲は8基に倍増され、25ミリ機銃も大幅に増備されています。
その後、マリアナ沖海戦での戦訓工事にて航空作業甲板の周囲にもスポンソンを設けて、25ミリ三連装機銃や新兵器の十二糎二十八聯装噴進砲(多連装の対空用ロケット弾発射器)などの装備を実施しています。
ようやく搭載機も揃い、対空火器も整った伊勢型航空戦艦に存在理由を一気に失わせる事態が生起します。
台湾沖航空戦です…。
米機動部隊による台湾空襲により起きたこの航空戦で伊勢型航空戦艦の虎の子の航空部隊は抽出されて損耗・別任務に従事してしまいました。
そんなこんなで、伊勢型航空戦艦2隻は台湾沖航空戦で生き残った搭載機を収容する事も出来ずに、日本海軍最後の空母機動部隊の直衛として出撃しました。
比島決戦にて、栗田・西村両提督が率いる艦隊がレイテに突入出来るようにハルゼー提督率いる米機動部隊への囮任務を行う事になった伊勢型航空戦艦2隻を含む空母4隻を主力とした小沢提督率いる艦隊は、囮に引っ掛かったハルゼー提督によって激烈な空襲を受けます。
大型正規空母「瑞鶴」以下、日本空母部隊は全滅しましたが、松田提督率いる「伊勢」「日向」は極めて卓越した回避運動と対空火器の有効的運用にて、無傷同然で帰投しました。
レイテ突入が失敗し、フィリピンを事実上失陥した後には、無傷同然で航空戦艦故の大きい搭載力を生かし、伊勢型航空戦艦はシンガポールから日本本土へ物資を輸送する「北号作戦」に参加。
制海権・制空権を完璧に失っていた海域を通過する為に、連合艦隊司令部・軍令部共に成功の可能性無し、半数喪失を覚悟していたこの特攻同然の作戦は…
天候と松田提督の卓越した指揮の結果、幾多の空襲・潜水艦の襲撃を見事潜り抜けて、1隻も失う事無く大成功の下に終わりました。
航空戦艦として改装された事が意外な形で役に立ちました。
ちなみに北号作戦に参加した艦艇は航空戦艦「伊勢」「日向」、軽巡洋艦「大淀」、駆逐艦「朝霜」「初霜」「霞」です。
北号作戦成功後、伊勢型航空戦艦は2隻とも重油不足で行動不能になったので内海に係留されて防空砲台となっていました。
そして…昭和20年7月24日、伊勢は妹の日向と共に「真珠湾の復讐」を目指す米機動部隊による呉軍港への空襲により直撃弾・至近弾多数を受けて大破着底して、その波乱に富んだ一生を終えました。
伊勢と妹の日向が航空戦艦と呼ばれる由縁は、艦尾の形状にあります。
見ての通り、普通の戦艦にはあり得ない物…広大な「航空作業甲板」が据えられて、その前方には大型のカタパルトが2基、装備されています。
これこそが、航空戦艦たる由縁です。
ご存知な方が多いと思いますが、元々「伊勢」型“戦艦”にはこんな航空作業甲板はありませんでした。
画像で航空作業甲板が据えられている場所には当初、戦艦の命である主砲35.6センチ45口径連装砲塔の五番、六番主砲塔があったのです。
35.6センチ45口径連装砲6基もの強武装とケースメイト式に配置された14センチ単装副砲が16基、12.7センチ連装高角砲4基が元々の伊勢型の代表的な兵装です。
しかし、ミッドウェー海戦での大敗北によって伊勢型戦艦を取り巻く状況が一変しました。
大型正規空母が翔鶴型2隻のみという事態に日本海軍は大きく取り乱し、大和型戦艦を除く全ての軽巡洋艦以上の空母への改装を検討。
建造中の大和型戦艦3番艦「信濃」も装甲空母として建造を再開。
そんな中で伊勢型が選ばれたのは…大和型・長門型は米新鋭戦艦群への切り札であり、金剛型高速戦艦は機動部隊の直衛で活躍中なので論外。
たまたま、主砲の爆発事故で5番主砲塔を失っていた日向を含む伊勢型が選ばれたのです。
当初、本格的な空母化や3番主砲塔以降を撤去して飛行甲板にする案などが提案されましたが、資材・時間の制約で5・6番主砲塔撤去後に空いたスペースを航空作業甲板とする事に決定しました。
改装成った伊勢型航空戦艦2隻は昭和19年6月の天下分け目の艦隊決戦マリアナ沖海戦には搭載機の整備未了で参加出来ず。
マリアナ沖海戦後に634空の彗星艦爆8機、瑞雲水爆(水上爆撃機の略で、決して水素爆弾じゃないですよ(笑))12機が配属され、伊勢型航空戦艦は本格的に稼動し始めました。
ちなみに、航空戦艦化する過程で14センチ単装副砲群は全て撤去されて逆に12.7センチ連装高角砲は8基に倍増され、25ミリ機銃も大幅に増備されています。
その後、マリアナ沖海戦での戦訓工事にて航空作業甲板の周囲にもスポンソンを設けて、25ミリ三連装機銃や新兵器の十二糎二十八聯装噴進砲(多連装の対空用ロケット弾発射器)などの装備を実施しています。
ようやく搭載機も揃い、対空火器も整った伊勢型航空戦艦に存在理由を一気に失わせる事態が生起します。
台湾沖航空戦です…。
米機動部隊による台湾空襲により起きたこの航空戦で伊勢型航空戦艦の虎の子の航空部隊は抽出されて損耗・別任務に従事してしまいました。
そんなこんなで、伊勢型航空戦艦2隻は台湾沖航空戦で生き残った搭載機を収容する事も出来ずに、日本海軍最後の空母機動部隊の直衛として出撃しました。
比島決戦にて、栗田・西村両提督が率いる艦隊がレイテに突入出来るようにハルゼー提督率いる米機動部隊への囮任務を行う事になった伊勢型航空戦艦2隻を含む空母4隻を主力とした小沢提督率いる艦隊は、囮に引っ掛かったハルゼー提督によって激烈な空襲を受けます。
大型正規空母「瑞鶴」以下、日本空母部隊は全滅しましたが、松田提督率いる「伊勢」「日向」は極めて卓越した回避運動と対空火器の有効的運用にて、無傷同然で帰投しました。
レイテ突入が失敗し、フィリピンを事実上失陥した後には、無傷同然で航空戦艦故の大きい搭載力を生かし、伊勢型航空戦艦はシンガポールから日本本土へ物資を輸送する「北号作戦」に参加。
制海権・制空権を完璧に失っていた海域を通過する為に、連合艦隊司令部・軍令部共に成功の可能性無し、半数喪失を覚悟していたこの特攻同然の作戦は…
天候と松田提督の卓越した指揮の結果、幾多の空襲・潜水艦の襲撃を見事潜り抜けて、1隻も失う事無く大成功の下に終わりました。
航空戦艦として改装された事が意外な形で役に立ちました。
ちなみに北号作戦に参加した艦艇は航空戦艦「伊勢」「日向」、軽巡洋艦「大淀」、駆逐艦「朝霜」「初霜」「霞」です。
北号作戦成功後、伊勢型航空戦艦は2隻とも重油不足で行動不能になったので内海に係留されて防空砲台となっていました。
そして…昭和20年7月24日、伊勢は妹の日向と共に「真珠湾の復讐」を目指す米機動部隊による呉軍港への空襲により直撃弾・至近弾多数を受けて大破着底して、その波乱に富んだ一生を終えました。