もうあれから3か月も経ちます。
2月21日。
その夜は徹夜仕事になるので、いったん帰宅して夕飯後にまた家を出ました。
車で近くのグリーンセンターという施設の周辺の道路を走り、坂道を下り切った道端に何か白い物体が目に入りました…
車を運転する人なら何度か経験ありますよね。
猫が横たわっているようにも見えたので一度通り過ぎたのですが、気になって先の交差点を左折、またグリーンセンターの周りを回ってきて同じ場所に戻りました。鼓動が速くなりイヤな胸騒ぎがしました。
「猫じゃなくて何か物が落ちてただけであってくれ!(。-人-。)」
そんな願いも虚しく、そこにはサバトラ×白のわりと大柄な猫さんが横たわり、息絶えていました。口を少し開けたまま、まるで寝ているように、今にも起きて走り出しそうな姿で…。
目立った外傷もなく、抱き上げるとまた硬直もしておらず足が力なくぷらーんと揺れていました。
可哀想だけど道端の目立たないところに寝かせて仕事に向かおうか迷いましたが、寒空の下ひとりで車にはねられた姿を見てそのまま立ち去ることができませんでした。
妻に電話して段ボールと大きいビニール袋を用意しておいてもらい、とりあえず舗道の隅の目立たない所に寝かせ、急いで自宅に戻りました。
再び妻に見送られて猫さんの元に戻り、ビニール袋で包み、段ボール箱に入れ車の後部に載せました。直接抱き上げた時は軍手をしていてわかりませんでしたが、ビニールで包み素手で抱いてあげたら、まだ温かくて今にも息をしそうで…
ついさっきまで生きていたと思うと…悔しく、悲しくなりました。
心の中で「外の生活大変だったね、お疲れ様」と労いながら身体を撫でて、箱の蓋を閉める前に手を合わせて祈りました。
↑どうしても亡くなった姿を撮れないのです…
彼が渡ろうとした先にはグリーンセンターの駐車場やアスレチック施設のある公園がありました。夜間、閉園してからはきっと人気のない園内が自由に活動できる場所だったのでしょう。
体のふくよかさから、どこかでご飯をもらえていたのかもしれないけど、毛並みや汚れ方、肉球の固さから野良であることがわかりました。地域猫の印である耳カットもありません。
もう少し早く会えていたなら…と思わずにいられませんでした。
車に載せたまま駐車場に置いておくのも気の毒なので仕事場に連れて行き、近くのベルクで買ってきた花を手向けました。
ごめんよ、こんな粗末な形でしか弔えなくて…
その夜はそばに置いて 一緒に過ごしました。
名前は『ごんた』に決めました。
ふっくらとした大きめの体に丸い大きな可愛らしい顔からイメージそのままの名前を付けました。
突然、「にゃあーーーーー!」って鳴きながら箱を蹴破って出てこないかなあ、なんて仕事をしながら時々ごんたが入ってる箱を見ていましたが、朝が来てもごんたは息を吹き返しませんでした。
朝がきて、その日は2月22日。
ツィッターやブログ、各メディアでも”猫の日”であることがわかる話題が多くて、ごんたはそんな日を迎える前夜に道路上でひとり、車にひかれて寂しく星になってしまったのです…
亡くなってから出会ったので、ごんたは僕のことなど認識していませんが、それでも心の中で、ごんたを"うちの子"として送り出しました。
サバ×白のふわふわの体、毛並み、外を歩いて固くなってた肉球、でっかい丸顔、ぜんぶ愛おしかったです。
他の動物たちと合同火葬という簡易的なもので、個別にお骨を拾ってあげられず、ごんたには申し訳なかったですが、それでも遺体が後続車に踏まれたり、あのまま腐敗していくような悲しい最後にしなくてよかったんだと、自分に言い聞かせました。
外猫の生活は過酷です。
日向ぼっこしてのんびり自由気ままで幸せそう、だなんてほんの一場面を切り取って思わないでください。風雨や雪の日、極寒の夜、真夏の炎天下、どうやって生き抜いていると思いますか?空腹、のどの渇き、ノミ、ダニ、捕食による寄生虫等による病気、猫同士の争いによるケガ、伝染病・感染症、ロードキル、そして最も恐ろしいのは人間による虐待。猟奇的な殺傷に限らず、嫌いだから石を投げる、棒で殴る、蹴飛ばす、河川に落とす等の”事件”は裁かれることもなく日常行われています。
もう少し外で生きることを強いられている動物たちに優しい世界にならないものだろうかと思います。
ごんたを轢いたドライバーは、なぜそのままにして走り去ったのか…
ごんた、君はどんな猫生を送ってきたの?
どこかで飼われていたけど脱走して迷子になったのか、小さい時に人気の少ない、自然が多いこのあたりに捨てられたのか、それとも元から外で生まれ、生き抜いてきたのか…わからないけど
僕は…忘れないよ。
今度はもっと早く会いたいね、ごんた。
↑写真を撮れないのでイラストを描きました