こんにちは

またあえて嬉しいです


では始めましょう、


今回は、故アンドレ・マトスさんについてです


私とブラジル人のボーカリスト、アンドレ・マトスさんの出会いは91年7月21日発表の[VIPER]の2ndアルバムの(シアター・オブ・フェイト)でした。


その後日本で未発表だった1stALBUM(ソルジャーズ・オブ・サンライズ)がリリースされ、強烈に感動したのが昨日のようです。


その後、3rdALBUMがリリースされた時アンドレ・マトスさんの姿はなかった。



でもその後、アンドレ・マトスさんは新しいバンドを作ります。

[ANGRA]です。1stALBUM(エンジェルズ・クライ)は文句無しの名盤です。


そして2nd(ホーリー・ランド)、

3rd(ファイアー・ワークス)が出てその後ANGRAにギタリストを残し全員脱退と言う事件が起こります。


アンドレ・マトスさんは有名プロデューサーのサシャ・ピートさんと二人で[VIRGO]で一枚ALBUMをリリースした後[SHAMAN]を立ち上げます。


しかし、ALBUMの内容とは裏腹に失速していきます。


1st(リチュアル)、

2nd(リーズン)と決して悪くないALBUMを出してアンドレ・マトスさんはまた脱退します。



そして今度は自己の名前のバンド[アンドレ・マトス]を立ち上げ1st(タイム・トゥ・ブレイク・フリー)2nd(メンタライズ)をリリースした後、


なんとアンドレ・マトスさんはブラジルからスウェーデンに引っ越して、あの元ストラトヴァリウスのティモ・トルキさんが集めたスーパーバンド[シンフォニア]に加入します。


たが、何かがうまくいかずALBUMは出したものの

解散してしまいます。


その後[アンドレ・マトス]名義で3rd(ザ・ターン・オブ・ザ・ライツ)を出します。


しかし2019年6月9日心臓発作でお亡くなりになられました。


享年47歳。若過ぎる死でした。

心より御冥福をお祈り申しあげます。


貴方の残した音楽は決して消えないでしょう。


以上、才能の有り過ぎる人の半生でした。


今回、私も改めてCDを聴きました。


今回はここまでにしておきます。

失礼があったらすみません。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

また、お会いましょうね。では。